映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

マリヤのお雪 (溝口健二)

2014年05月22日 03時18分50秒 | 溝口健二
『マリヤのお雪』 松竹 公開年月 1935年5月30日

監督   溝口健二
原作   川口松太郎
脚色   高島達之助
撮影   三木稔
衣裳   小笹庄治郎
編集   石本統吉
指揮   酒井龍峯、金馬雄作

出演
お雪...........山田五十鈴
おきん.........原駒子
朝倉晋吾.......夏川大二郎
佐土原健介.....中野英治
通子...........歌川絹枝
おちえ.........大泉慶治
権田惣兵衛.....根岸東一郎
お勢...........滝沢静子
儀助...........小泉嘉輔
官軍大佐.......鳥居正


『死のうたって、寿命があれば助かるし、生きようと思ったって、無けりゃそれまでさ』
今更じたばたしても始まらない.死のうとしても、生きようとしても、どっちでも同じじゃないの?

『三日や四日、どこでどう暮したって、飲まず食わずにゃ慣れてる私たちじゃないか』
貧乏暮らしの自分たちは、一食や二食、食べても食べなくても、同じじゃないか.

『どうせ酌婦風情ですもの、石ころのように踏まれたり蹴られたり』
今更何されても、同じ.

『戦場だって墓場だって構わない.わたしゃ不人情なやつがいないところへゆきたいのさ.住めば都ってね』
どこで住んでも、同じこと.

そしてお雪はおきんに言う.
『考えてもごらん、あの人を西郷方へ突き出してもそれまでの話じゃないの.』
『由、また逃がしてやったにしても、二度と会える人じゃない.』
『この戦争が何時収まるか知らないが、いずれは官軍の勝利に決まっている.』
『戦争が済んで官軍の兵隊が東京へ引き上げてしまえば、惚れたも張れたもありゃあしない.』
『運良く行って朝倉さんが東京へ凱旋したと考えてごらん.』
『それこそ金筋を光らせた陸軍の将校様だ.』
『わらじやの一文酌婦が、命懸けで惚れてみたって添い遂げられる人じゃあない.』
『ほんの戦場の出来心、長続きの出来る相手でないことは、お前にだって解っているじゃあないか.』

二度と会えない相手ならば、生かしても、殺しても、同じことだった.
『お前も私も惚れた男だ、たとえ一日一刻でも、惚れた男のためなら、幸せを願ってやるのが女の道じゃあないか』
人を好きになるということは、相手の幸せを願うこと.
自分の幸せしか考えないことは、卑怯.
官軍大佐が、おきんを邪険に扱ったことは、田舎者の芸者とバカにした行為で、卑怯だったのかも.
『私も、お前も田舎芸者.好きになっても、どちらも一緒になれはしないんだ』お雪はこう言って、官軍大佐を撃とうとするおきんを止めました.
決して私は自分の幸せだけを願って言っているのではない.私の幸せも、お前の幸せも同じなのだ、こう言ったのですね.
付け加えれば、自分の幸せのために他人を犠牲にするやつは論外.



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。