一手拍(いっしゅはく)を成さず、片脚歩むこと能(あた)わず・・・「高野雑筆集より」
という言葉があります。私の解釈としては、「片手ではいくら頑張ったところで拍手はできない、空をきるだけで音はでないし、片足だけでは前に進むことも後に下がることもできない、ただ今居る場所に立ちすくむだけだ。」と捉えます。
例えば、右手が神様で左手が自分だとします。どちらが欠けても願いは叶わないことだと思うのです。互いに反応し合わなければ音(結果)が出ません。自分の努力なしでいくら神様に願いをかけても、神様は反応してくれないと思うのです。
苦しいこと・嫌なこと・辛いことなど悩みを解消するべく、自己改革に努力を惜しまず頑張っていると神様は天界から右手を差し延べて、そこで初めて音(結果)がでるんじゃないかと思うのです。解消するべきことを怠けていると、いつまで経っても音はでないし、歩くこともできないと思うのです。
人間は動物の中で唯一”悩む”ことができる動物です。それ故、その悩みを解決することが唯一人間に課せられた課題なのです。それを棚上げにして自分に都合の良い事だけを追求している人間には神様の右手は見えることはないでしょう。