にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

私たちは変われる『高橋卓志』僧侶

2021-06-23 19:58:00 | 日常

 もう2年くらい前のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で取り上げられた僧侶である。仏教界の革命児といわれる。

 落語好きの蕎麦屋の葬儀では、参列した落語家に「時そば」を演じてもらう。92歳まで現役だった理容師の場合には、理容店の椅子に座って経を読む。

 図書館司書のときは、家族に残した本棚の前で見送る。故人の物語が遺族のこころを癒す。共感し、ともに涙を流す。形式に囚われない、心に残る葬儀を行う。

 葬儀だけではない。生老病死の四苦を抜くのが、僧侶の仕事であるという。住職は、そのために十の職をこなす。

「昔の坊さんはみんなそういうタイプだった。先生だったり、宗教家だったり、土木屋だったり‥‥」。廃業した旅館を借り受け、デイサービスセンターを設立した。

 高齢者への配食サービス、訪問介護、成年後見など、老苦や病苦に対処するネットワークを作った。できることを追求する。全国の僧侶や葬儀業者が、教えを請いにやってくる。







 1948年、寺の住職の一人息子として生まれた。中学生になると、父のおこなう葬儀に連れて行かれた。翌日、クラスメイトにからかわれる。「人が死ぬともうかるんだな」。ショックを受ける。心の傷になる。僧侶にはなるまいと思う。

 大学受験のとき、第一志望に落ち、仏教系の大学に進学する。厳格な父に逆らえない。嫌々、僧侶の道を選ぶ。心は「やってられないよ」と叫んだ。寺に生まれたから世襲しただけだ。葬儀、法事、すべて定番どおり、できるだけ手を抜いた。

 転機がやってくる。29歳のときだった。ニューギニアでの遺骨収集団に呼ばれた。ピアク島では、第二次世界大戦中、1万人以上の日本兵が戦死した。その洞窟でも、火炎放射器を放たれ、千人の兵士が亡くなった。

 水がたまり、遺骨が散乱していた。高橋は、遺骨収集団のリーダーの老師から、経を読むように指示される。そばに、夫を亡くした女性がいた。

 その女性が泣きはじめた。やがて号泣、泥水の中に座り込む。手足をばたつかせながら叫ぶ。高橋の読経がとまった。絶句した。声が出ない。老師が怒鳴りつけた。天地にとどろくような声だった。

 「お経読まんかっ!」

 その一喝が、所業や生き方を変えた。「どう生きるか」は分からなかった。「今までの生き方はだめだ」、それがよく分かった。泣きながら、泣きながらお経を読んだ。

 思いいたった。世の中にはすさまじい苦しみがある。その苦しみの真っ正面に自分は立たなくてはならない。坊さんの役割だ。高橋は、四苦を抜く、抜苦の道を歩みはじめた。


 私たちは、変われるのである。目的の明確化は、その次に大切なことである。








 

 

東京オリンピックの裏側

2021-06-22 22:17:00 | 日常

 小池都知事が過労でダウン、検査入院するらしい。それもそうだろう。もう1年以上お休みなしで毎日の記者会見、毎日のコロナ対策会議と早朝から深夜まで仕事を余儀なくされてきた。

 大事に至らないことを願います。精神のストレスたるや凄いものだったでしょう。東京オリンピックのことは忘れて静養に尽くしてください。

 7月21日は、職場近くのこの通りは聖火リレーあるので交通規制ありますと通知が来た。都の行政、教育等の公務員にオリパラの協力スタッフに名乗りをあげてくださいとメールが回っている。もちろん無償のボランティアである。

 観客を開会式は2万人だとか、会場ではアルコール提供するとか、品位ないめちゃくちゃな案を運営組織が小出しにして反応をみている。国民の神経を逆撫でするような事案だとわからないのだろうか。

 とにかくこれまでにない質素で静かな祭典、人流を抑えに抑えた観客にすべきだろう。応援に小中高校生をかりだそうとしたり、もう馬鹿げた策略は全てやめた方がいい。

  






将棋とMLBの週末

2021-06-20 21:14:00 | 日常

 一昨日は朝からPC前で棋聖戦第二局に釘付け。藤井聡太棋聖の初防衛戦。第一局は後手番で素晴らしい指し回し、先手渡辺名人の鋭い攻めを完璧に受け止めての踏み込みで完勝。

 渡辺明名人は藤井棋聖以外の対局をこの一年よく勝っての三冠を保持。タイトル戦の経験も十分で、彼の棋士人生で1番充実してるかもと思わせる棋戦状況だ。

 藤井棋聖は何だか、相手が強ければ強いほど実力を発揮するタイプに見える。







 第二局は長手数の、お互い明らかなミスのない、時間のない中での難解な緊張感ある終盤戦が続いた。

 渡辺名人にとっては、かなりショックな負け方だろう。中盤でかなりしっかりとした後手矢倉を組めた。一方、藤井棋聖は居玉で囲いの戦型ない不安定な状況、おまけに残り時間もかなり消費して差がついている。

 渡辺名人はこういう状況で負けた棋戦がないくらい盤石な中盤から終盤へ。恐らく観てる人のほとんどが渡辺勝ちを予想したと思う。しかし、AIの判定はイーブンだった。

 藤井棋聖の歩の使い方と大駒「角」の使い方が見事だった。AIによる形勢判断がほんと少しずつ藤井棋聖に傾いていく。お互い最善手に近い手を指しているのに藤井棋聖に優勢の針がほんの少しずつふれていく。

 渡辺名人からしたらどこが敗着の一手か探せないような負け方だろう。藤井棋聖が一日制の5番勝負で2勝したが、タイトル戦で渡辺名人の大逆転は何度も見たからまだ少しも安心はできない。

 渡辺名人先手の第三局、どんな戦型選択するのか興味深い。3局続けての相掛かりあるのだろうか?





 タイガースとの3連戦、大谷翔平君は凄まじい活躍だった。今シーズン調子悪いチーム相手とはいえ、エンゼルスタジアムはすごい盛り上がりで衛星放送からもその様子はリアルに伝わってきた。

 7月上旬のオールスターゲームが折り返し。やっと貯金1で、ア・リーグ西地区の首位アスレチックが貯金16、二位のアストロズが貯金14とかなり離されている。

 先発、中継ぎの投手陣が頑張ってくれるとこれから勝ち越しが増えるかもしれない。野球もチームが勝ち上がっていい位置にいるから面白いと思う。




明日、世界が滅びるとしても

2021-06-16 17:54:00 | 日常

 世界が混迷を極めたとき、自分を見失わずに生きるためには、どうすればいいだろうか。

 作家の開高健(1930〜89)の座右の銘を思い出した。開高は、色紙を頼まれると、「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」と書いた。

 宗教改革のマルチンルターの名言といわれる。どうやらルター本人の発言ではない。ルーマニアの作家、コンスタンチン・ビルゲル・ゲオルギウ(1916〜92)の『第二のチャンス』の作中人物としてのルターの言葉らしい。

 オリジナルは「どんな時でも人間のなさねばならないことは、喩え世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」である。

 私たちは、未来の希望が現在の努力を支えると考える。しかし、年をとっても努力する人はいる。明日どうなるかわからないから、今日を頑張る。

 評論家の山崎正和は、この「無常観を覚えながら自暴自棄にならず、逆に今日を深く味わう生き方」を「積極的無常観」と呼んだ。どんな苦境にあっても、前向きに生きる考え方である。

 老若男女問わず、身につければ、大きなアドバンテージになるのではないか。実際に、そういう考え方をして、偉大な道を歩んだ人がいる。

 スティーブ・ジョブズ(1955〜2011)のスタンフォード大学卒業式のスピーチ(2005)が想起される。17歳のとき、「毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」という箴言(しんげん)と出会ってから、毎日「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日これからやろうとしていることを本当にやるか」と自問する。

 残念だが、彼の膵臓癌の経験(2003)は、その思考習慣を確信にする。彼は癌を受け入れて最後の1日まで前向きに生を全うする。彼が亡くなってから、息子がスタンフォード大学の医学部に進学し癌治療の研究に没頭する。何という繋がりある運命なのだろうか。

 命削るような無理はいらない。明日はないと思い今日できることを悔いなくやり切る。その毎日の積み重ねがリンゴの木を植えるということなのだろう。















『ファーストペンギンでいこう!』再掲載

2021-06-14 19:05:00 | 日常

   英語圏に「最初のペンギン」(first penguin)という言葉がある。
餌の魚をとるため、氷上から最初に飛び込むペンギンだ。

 海には魚もいるけど天敵もいる。彼が無事なら、他のペンギンも安心して飛び込む。勘違いでも早とちりでも、とにかく最初に飛び込む人が必要だ。

 誰か1人が、その決意を固めれば、1人、2人‥‥「あいつがやるなら」と感じる人が現れる。「みんながやるなら」も駆けつける。

 失敗のパターンは千差万別だけれど、成功のパターンはいつも同じパターンだ。
「みんながやるなら」という考えにも一理ある。

 ヌーの群れを知っているだろうか。アフリカに棲む牛の一種だ。乾季になると餌を求め大群を作って移動する。そのメリットは2つ。どちらも渡河のときである。

   ヌーの旅は、雨季を迎え濁流と化した河を渡ることになる。1つ目は天敵対策でワニが獲物を狙っている。シマウマは数頭が間隔を空けて渡るので餌食になりやすいが、ヌーの場合は大群が間隔を詰めて渡るため狙いを絞りにくく捕食される確率が低くなる。

 2つ目は対岸の地形。上がりやすい岸辺ばかりとは限らない。1メートル程度の崖でも巨体のヌーはすぐに登れない。しくじれば濁流にのまれる。ところが、大群で押し寄せると誰かが登りやすい場所に辿り着く。それを見て他の個体もそこに集中する。岸が崩れさらに上がりやすくなる。

 殺到する。崩れる。道ができる。ヌーにもファーストペンギンがいる。最初に河に入る個体である。NHKの番組では、年長の牝♀に背中を押され、落とされるように飛び込む若い牡♂が映っていた。それを合図に大群が殺到する。

   脳科学の茂木健一郎が、陸上100メートルの活躍の価値に言及して、
「科学の世界でも、ひとりがなにかやると『あ、できる』と思える。陸上では100メートル、アジアの選手は10秒の壁を切れないとなっていた。しかし、誰かが切った瞬間に何人も切りはじめた。人間ってそれくらい固定観念にとらわれていて、脳のリミッターを外すのがいちばん難しい」と説明していた。

 1人のブレークスルーが、みんなの可能性へと拡大再生産される。ということだろう。せっかちでもおっちょこちょいでもいい。ファーストペンギンの勇気がみんなに伝染する。求められるのは才能でも知力でもない。誰かひとりが固定観念のリミッターを外し、「私はやる」と決めることだ。

   ファーストペンギンになろうという気概は今でも持ち続けている。人が嫌がる仕事や創造性のいる仕事に直面するとよし一丁やってやろうじゃないかとなる。

 そういう仕事は結果より過程が面白い。仕事を仕事だと思っていない。結果が容易に予測できないほうが結果を気にせずやれる。いい結果は出なくても次に繋がる。











 海の向こうのアメリカで、大谷君がとんでもなく話題になっている。誰もがやらないファーストペンギンやチャレンジが大好きなアメリカ人である。 

 子どもから大人まで敵地でさえ、大谷君を一目見たいとブーイングでない大歓迎の声援が球場全体に響き渡る。どこまで突き進めるのか、とにかく健康体で怪我のないことを祈るばかりだ。