なな散歩が7月からスタートして5ヶ月弱、1日のルーティンが確立して生活に変化が見られた気がする。
早朝5時半からの散歩するようになって、早くなるようにというか、寝てしまうようになった。1日をいい意味で長く感じるようにもなった。
時間の感覚とか四季の変化とか朝夕のごく微細な空気の変化とか少し敏感になった。雨上がりの土の匂いとか、最初の南風とか、台風の予兆の雲とか、そういうものが「イベント」としてくっきりと際立ってくる。
子供の頃、外で遊んでいても、自分でだいたいの時間を計測できた。身体の中に時計らしきものがあって、なんとなく時間がわかる。ご飯の時間が6時半と決まっていたから、6時近くなると猛烈にお腹が空いてくる。身体そのものがちゃんと時間化されていた。
今の子供たちをみてると、曜日によってスケジュールが違うし、晩ご飯の時間も違う。この日は塾に行って、この日はスイミングに行って、この日はピアノに行って‥‥というふうに毎日がイレギュラー。イレギュラーな生活ってストレスがきつい。
それに耐えるためには、時間意識をむしろ鈍感にしていかないともたない。毎日同じ時間にお腹が空いたんじゃ、イレギュラーな生活に耐えられない。寝る時間も食事の時間も、毎日違う生活をしていれば、体内時計は狂ってくる。日の変化もわからなくなるし、四季の変化にも気づかなくなる。
都市化の生活は子供たちに様々なストレスを与えて、人間が本来持つ、感じる感覚を身につきづらくしてるように思う。ななの散歩中にそんな事を感じながら、子育てが終わった年齢になって改めていろんな危機感をもつに至った。
われわれの生活は、携帯やスマホの出現によって大きく変化してきた。まだこの先変わっていくのだろう。人間らしくない、そのような無用の便利さの追求をやめた方がいいと10年くらい前から感じている。
でももう人間の欲望には歯止めが効かない。なるようになっていき、大問題が起きるたびにその対策にまた奔走するのだろう。ITが産み出したものに対抗しながらも、時にはそれを享受して、怖さを感じながら生きて行く。