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東京都心の人口密度は異常だと思う時がある。朝晩の通勤時間に街を歩いていて、特に駅での乗り換えのとき、気をつけていても人とぶつかったりする。
私は必ず「あ、どうもすみません」とか「失礼しました」と先に謝るが、私に謝ってくれる人はごく少数だ。これは若い人に限らず、40代、50代の人でもそうである。
人をにらみつけたり、ちっと舌打ちして去る人が増えたという印象がある。これは礼儀がどうこうという問題ではなくなっているような気もする。
どんな場合でも、「お前のせいで私はいま不愉快になっている」という態度をまず採って見せる。その方がその後の展開に有利に働くと思っているので、日本人全体がだんだんそういうマナーを採用するようになったということだろうと思う。
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「クレーマー」というのがまさにそうである。高級品売り場とか行政がらみのこととか、医療現場とか教育の学校社会とか、クレーマーの過剰は日本の社会システムそのものを崩壊させかねないところまで進行している。
「先に文句を言ったものの勝ち」というルールが、子供の頃から家庭や学校で横行したり鍛えられて、どんな場合でも誰よりもはやく「被害者」のポジションを先取する能力に長けてゆく。
人間、生きている限り、さまざまな不快な出来事に遭遇するが、そのすべてにおいて、「私は不快に耐えている人間」であり、あなたは「私を不快にさせている人間である」という被害ー加害のスキームを瞬間的に作り上げようとする。
この能力を現代日本人が異常に発達させつつあることに、みなさんもだいぶ前からお気づきのことと思う。日本人の相手を思いやる気持ちや共助の精神は、もう古き良き時代のことなのだろうか?
いや、そうではないだろう。長い年月をかけて育まれた日本人の美徳みたいなものは、そんな簡単にはなくなってしまわないだろうと思う。
先に文句を言ったものの勝ちと生きた人は、長い人生の積み重ねできっと周りから見放されるときがくる。勝ちと思ってるのは本人だけで、周りにはそう見えていないのだと思う。
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