拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  直線から円覚

2024年12月26日 | 東洋自分なり研究所

  『円覚』からは円描く・・・というような、幼稚な発想が頭から離れない・・・。

  何も円覚寺で修行をしたからというわけでもないと思うが、自然『円覚』というのが我が公案になっていたのか。

 

  禅修行の行程を考察するに、『戒→定→慧』という一直線的な行程があることを何かで読んで学んだ気がする。

  ウィキペディアに『三学』が出ていた!

  『 三学(さんがく)とは、釈迦によって示された、仏道を修行する者がかならず修めるべき3つの基本的な修行項目をいう。

    具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す。 この戒 ・定 ・慧は、修習の順番が重要である。』

 

  ・・・釈迦の時代からその重要さを説かれていたのか?  

  で、ここに確かに『この戒 ・定 ・慧は、修習の順番が重要である。』・・・とわざわざ書いてあるが、

  その事が、私の云う『直線』という意味で、今思うと修行の行程が確かに『戒→定→慧』というような流れで深化して行ったように思う。

 

  私の場合でいえば、『戒』は、生活全般の方向性を『修行』中心に向けて、整える・・・というような事か。

           『定』は、自分を『無』に追い込むべく禅定の意味で、坐禅を深めることをいうだろう。

           『慧』は、『無』から『空』に転じる(空じる)『観』を得ることゆえ、『覚』の字が当てられたか。

 

  そして、直線的であった『戒→定→慧』が、『円覚』となって、『円覚自在』に『戒・定・慧』が混在一体となり、無分別様になって

  生活に応用される様ではないだろうか。

  量子力学で云う、『戒・定・慧』の粒子が『重ね合わせ・もつれ』状に在って、『観』の意識が働くとき、そうか!と頷くような・・・円覚。

  

         

          『戒→定→慧』という滑走路から、飛び立った『坐』というUFOが『円覚』の図

          

  (*ところで、『円覚自在』という四文字熟語はないようで、『変幻自在』とか『円転自在』の妙(ニュアンス)をかもす馬骨造語)

  円覚寺、円覚寺と実在する寺名を勝手な解釈で、汚辱しているかもしれず申し訳ないが、馬鹿は馬鹿なりに『円覚』から

  体得した目下の私の答えであろうか。

        

             

  12月24日、相方の突然の提案により、フランスはLyonへ行き、バジリック‐ノートルダム大聖堂にてミサに初参加して一泊。