拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『覚問』としての悟学留学

2024年04月13日 | 東洋自分なり研究所

  私はいまスイス、フランス語圏に在住しているが、よくよく考えると何故こんな所にいることになったのか?・・・と思うことがある。

  三十年以上ここに住んでいるのに、ろくに現地語も出来ず・・・なんでアンタ(私)はここにいるのか?

  長年こちらに住んで、語学も堪能で現地の優れた人々と盛んに交流している誰かさんのようであれば、まだしも、そうでないアンタ・・・。

 

  世の中、『語学留学』という言葉があるが、私の場合強いて言えば『悟学留学』・・・てな、ところであろうか、と気付いたのは還暦もだいぶ過ぎた頃。

  日本語のまったく通じない国であればおそらくどこでも良かったであろう留学であるが、そこはそれ『他生の縁』みたいなものか。

  言語を介さない次元の探究にあって、同時に『言語化』を強要する『悟学留学』の『場』とはそういう場所をいう。

 

  しかし、『悟学留学』という点からみると、日本にありながら日本語が通じないという意味で、禅寺の存在はすでに『留学』先として『あり』であり、

  日本在住中、私はそのへんの事情にまったく気付かずに『悟学留学』如き、『禅寺』を修行の『場』として選択していたわけだ。

  指導していた禅僧がやたら怒鳴るのも『ここでは』言葉が通じない・・・という事を知らせんが為であったろうか… 。

  参考書として購入した本はよりによって『禅による生活』鈴木大拙著・・・日本語で書かれているが、内容はまったく理解できない書籍であったし

  実地の坐禅修行にしても、実はそれによって『悟りを標榜』しているとは、禅寺の誰もそんな事は言わず、私自身それを考える余裕すらなかった。

  禅寺では説明が一切なく、禅書はちんぷんかんぷん・・・。 それでも『何かがある気がする』・・・ただその確信だけが修行を継続する動機であった。

 

  今思うと、(禅)寺の『境内』・・・とはよく言ったもので、娑婆(しゃば)の人々にとれば、『境』の内側は通常の言語ではいかなる言葉も通じない

  『聖なる異界』であり、『悟学』によく通じる者だけが、『聖俗』の境界など無い、『別事無し』の風光を生きてゆく。

  であるから、禅寺では『覚問』の基礎を叩き込み、言葉の通じない『異国』に放り込んで『悟学』的『観』性を磨かせるわけだ・・・。

 

                   

        廬山は煙雨 浙江は潮 到らざれば千般の恨み消せず 到り得 帰り来たれば別事無し 廬山は煙雨 浙江は潮 (蘇東坡)

  

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿