私、一撮の写歴の中で非常に重要な意義というか、写義を自分に教えてくれた作品・・・であったなぁ、と思う作品です。
スーザンとの出会いは、私に西洋への開眼と同時に、自分の国の伝統文化への開眼でもありました。
27歳の時、勤めていた写真学校を辞め、『英語』に取り組む一大決心をして大阪と京都の間にある、枚方市の住み込み型、英会話スクールに入学
そこで英語を教えていたオーストラリア人のスーザンと知り合い、恋愛関係になりました。
スーザンは枚方から京都の街のど真ん中、むかし郭(くるわ)であったという古い家を借りて住み始め、私はよく遊びにいったのです。
スーザンの友人の裁縫師が来てくれ、スカートの仮縫いの様子、畳に板の間の部屋・・・
スーザンが飼ってた猫の名が『Basyo 』、その当時『芭蕉』と聞いてもなんとも思わなかった。
それでもこんな一句を詠んだっけ 『 そばだてる 猫の耳にも 届かじや 梅の香乗せた 新春の風 』
スーザンの向こうに俵屋宗達の『風神』があり、私は和洋がとりなす光の『美』を感じていた・・・
京都の郊外、大原へ行った時、スーザンは『開け護摩・・・』と言ったのか? 壬生寺で初めてみた壬生狂言 『大原女』
古着屋で買ってきた着物にご満悦なスーザン 私は初めて観る『薪能』に『幽玄』という言葉の重みを知らされた・・・
青春の光と影・・・というが、写真もまた光と影なのだ
1981年、ギャラリー銀座Niko Salonで『Susan in Japan』写真展をした。
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