今年2020年はコロナに明け暮れした一年で、いまだ収束の時期がわからぬ不安な日々が続いている。
ヨーロッパに在住する私にとって、西洋人が日常的にマスクをしている風景を見ることは感慨深いものがある。
いまや、洋の東西を問わず世界中の人々がマスクをし、幼子などへの心理的影響などが心配されている。
確かに、爺になった私なども街に出て、顔の 2/3 しか見えない女性達を眺めるのは『うんざり』してきた・・・。
それに関しては、後に述べるとして問題は『マスク』による『どことない不安感』の増大であろう。
ウイルスという見えない、敵に対して抗するにはやもうえない措置とはいえ、心理的に愉快なものではないことは確かだ。
そこで、『マスクの効用』を考えることで、『災い転じて福となす』的・・・視点を見出すのが『禅者』の仕事ではないかと思うのだ。
そもそも『禅』・・・とは『一黙』を絶対必要条件とする。
四弘誓願という短いお経の第2番目に『煩悩無尽誓願断』というのがあるが、一黙でもってごちゃごちゃ、ああでもないこうでもないという思考を
『断』じようと決意するのが、基本になっている。だから、ダルマさんを見よ、口を一文字にくいしばって、決意を表明している。
故に、禅宗のことを『達磨宗』といって、一黙の風貌を尊ぶ。
『奥歯をしっかり噛み締めて、腹から吐く息を細く長く出すんだ!』・・・と怒鳴られながら教えられたものだ。
禅の修行の肝要は『一黙』による、自省経由の『無』への心境に他ならない。そこには心身を結ぶ、丹田呼吸法という伝統の秘宝がある。
ただ、ボーツと座っているわけではない。
私は、世界中の人々が『マスク』をしている風景が神をして、というか仏をして『一黙』へのいざない…であると心底思っている。
外に向かう心を内なる太陽(コロナ)へ向ける働き・・・があると思うのだ。
その方法の一つに日本には『七五調』がある。俳句や短歌で心境を練る・・・そんなコロナじゃないだろうか。
俳句・短歌は『和風ルービック・キューブ』である。 で、その芯は『悟り』にある。ただし、悟り=郷里(さとり)だ。
電車の中で、『ルービックキューブ』で心を練っている若者
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