清浄という言葉を 禅仏教では大切にしている。
本来清浄であるのに自ら 自己の心を 汚染している 我ら衆生を 救おう としたのが 仏だからだ。
環境汚染はやかましく議論と実践の対象になっているのに、心の環境汚染はほとんど、無視されているのでは と
思うほど 野放しにされているように見える。と云うか、ついてゆけないくらいの千万変化の世の中の事態に大の
大人もどうしてよいかわからない、戸惑っているのだ。
どうしたらいいのか? その答えは、あまりにも簡単すぎ、方法論的にシンプルすぎて、信じられなく、また人々も
熱意と忍耐に欠け、人々をしてその気にさせるインパクトあるリーダーの欠如もある。
ポーズはおなじでも、ロダンの考える人など足元も及ばない 品格を漂わす弥勒菩薩の写真を見ながら。
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