哢人(ろうじん)・・・この際の『哢』とは(さえずる…の意味)
自分等、老人=シニア世代を書き表して『老人』というのは、なんだか情けない、せめて口だけ達者な『哢人』でどうだろう!
うちの相方はまさに『哢人』で一日中さえずっていることだし… 。
私自身は内弁慶ならぬ、ブログ弁慶で、他ではほとんど無口…というかフランス語がよく話せないし、自然、黙っていることが多い。
で、哢人にとって『散歩』は非常に重要な日課である。私は妻を連れ出し、妻は私を連れ出し、四季の移ろいを体一杯に体感し
四季をしっかり受け止めることは『哢人』の大切な役割であろうと思う。でなければ、誰がそれを味わう?
昨日は非の打ち所のない、花見散歩日よりで、我々の知っている花の咲く処を散策した。
私はこれまで他の日本人の如く、春になると『桜』が恋しく、スイスにも所々に桜はあるものの、何か違和感があり、やはり桜は
日本でなければ・・・と、心で嘆いていたのだが、退職してからよく行く公園の見事な『木蓮』を毎年観察するにつけ、その高貴な
佇(たたず)まいに、いつの日か打たれ、今では、私の中では『木蓮』は『桜』と同格か、あるいは仏の華『蓮』の一文字を含んでいる分、
格上の『華』として昇格さえしている。
『 花びらの 少し大きな 桜かな スイスを照らす 春の木蓮 』 一撮 (ローザンヌ駅の湖側の散歩道)
久々に、オリンピック博物館入り口に続く道が公園で、行ってみてビックリ。流石、予算に余裕があるのか
所々に展示してある、スポーッに関する彫刻と植物の絶妙な配置というかデザインは素晴らしいの一言。
ただ、やるのかやらないのか今年の『Tokyoオリンピック』のノボリなども随所に展示してあり痛々しい。
湖沿いの散歩道にあるいかにもスイスらしい(と言ってもスイスドイツ圏の伝統建築)家の庭にある見事な木蓮が咲いていて
相方と『キレイ!』と言ったのが、そばをジョギングしていたご婦人が『そうでしょう!』と相づち打ちながら走り去った…
と思っていたら、急に戻ってきて、『貴方たち、木蓮の前で写真とりましょうか?』と親切な提案!
ジョギング中にわざわざ戻ってきて写真を撮ってくれるなんて・・・『仏の華』のなせる技であろうか・・・。⬇︎これがその写真
スイスで暮らさてれてますね、
10年以上前に「スイスアルプ、ドイツ、パリ」を巡るツアーに行きました。
ユングフラウヨッホの登山列車、ノイシュバンスタイン城の美しさ、ライン川下り、ドイツビールの旨さを思い出します。
リコは短歌をしてます。貴方の短歌は自身の体験が溢れて良い歌ですね
今後とも宜しくお願いします。