昔の坐禅修行時代のことを思い出すと・・・
外がまだ真っ暗な早朝、坐禅を組む瞬間におそらく誰もが自問する問は、『なんで俺はこんな事してるの?』・・・であろう。
それでも、坐を組んで背筋を伸ばすころには、小さなコックピットに乗り込んで、『出発オーライ!』…のような心持ちになったのは
私だけではないだろうと思う。・・・私の場合、確かに『未確認飛行物体』に乗り込む感覚があったことを今でも思い出す。
『坐』というのは形からにして『大乗UFO』で、『大乗』とは、単に大勢乗れると言うことでなく、『偉大なる乗り物』ということだ。
『大乗UFO』の目的地はここ(此岸)から(彼岸)への飛行であり、他のいかなる処ではない事を明確に指示するのが『禅』という働き。
飛行中、『観音』という境涯に至るが、そのときは『念彼観音力』という自動操縦に切り替え、行住坐臥『念彼ネンピ』の働きを忘れることはない。
その航路を『道』という字がよく表している。
人は『自我』の力で『此岸』まで自力で至るが、そこから『円』を完結する『摩訶般若(偉大なる智慧)』の彼岸へは、
『自我』を捨てる行為、『首』による『無我』という『坐』で、その『空間』を飛行する以外に『道』はない・・・のだ。
私は今、『観音』を聴きながら、未知を恐れる気持ちを仏に習った『施無畏印』で粉砕して、大宇宙を飛行中である。
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