拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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  大拙東来意 〜 二度目のリンゴ

2024年03月14日 | 東洋自分なり研究所

  私の感覚では、30〜40年前に世界的『禅ブーム』的時期があったように思うが、今はその点どうなんであろうか?

  そういった事は、日本の大きめな書店に行って書棚を一目すればすぐわかるのだろうけど・・・。

  経済が低迷する日本では、人々は日々の生活に追われて『禅』どころではない・・・という心境であろうか。

  スイスでも『禅』に関する書籍は本屋さんの書棚をみても、ほとんど無いに等しい寂しい状態といえると思うが

  5年ほど前にパリの某大学の東洋学部のエマニュエルという教授が、鈴木大拙を中心にした『禅』によるヨーロッパでの多大なる影響力に対して

  まったく理不尽な警告を発するごとき、講演会にたまたま出会い驚いたことがあったが、そういった意味では彼の視点から見ると

  『Zen』のヨーロッパへの侵攻は深刻な状態なのだろうか?

  彼等の目から見れば、東洋のほんの一片の文化的、スピリチュアル的雰囲気の西洋への侵攻・・・という風に映っているらしいが

  『禅』から見れば洋の東西など全く関係ない、『人間』そのものを禅という瞑想修行法を通して見据えた人間性の追究から

  如何に人間が生きるべきかを説いているわけで、西洋においても『AI』とか『量子力学』などの研究が進むにつれ

  『人間の意思』の問題がますますクローズアップされる風潮のなか、仏教・・・特に『禅』というものに関心を持つ人々が増えているのかもしれない。

  明治以降、科学が今日みるような仕方で発展するとは誰も想像することが出来なかったであろうが、

  一方で、科学進歩で人間性が脅かされる時代が来ることを見据えていたかの如く、埋もれていた東洋の、そして日本の至宝『禅』を

  世に知らすべく使命を持って生まれた鈴木大拙の登場はまさに、インドから中国にやってきた禅の祖師『達磨』の如く、

  『大拙東来意』・・・つまり、『大拙が東から世界に向けて渡って来たその真義は?!』と、何度も何度も問われるべき重要な公案(禅問答)なのだと思う。

  鈴木大拙自身の書籍によって、中国、日本の禅の祖師方の『禅の取り組み』方を一部始終紹介している。

  しかし、明治〜大正〜昭和を生き通し、日本やアメリカを中心に日本語、英語で著作、講演活動を通して『禅』を世界に紹介するなか

  大拙が80歳の時、秘書として大拙を15年間にわたって支えた岡村美穂子(当時18歳?アメリカ生まれ)の『大拙見聞録』・・・は、

  大拙自身の書籍からは垣間見ることのできない、数々のエピソードで、現代を生きた禅者としての鈴木大拙の姿を浮きぼりにしている。

  岡村美穂子氏は後年、目撃した一つのエピソードとして、アメリカの大学での大拙と学生との問答を紹介している。

  大拙: 楽園に暮らしていたアダムとイブは、禁断の果実『知恵のリンゴ』を食べることで、楽園を追われた・・・リンゴは人間に分別能力を与えたのだ

  学生: では、(アダムとイブは)どうしたら、再び楽園にもどれるのでしょうか?・・・

  大拙: 二度目のリンゴを食べればいいのだ。(と、即答)

      https://www.youtube.com/watch?v=4ACJtFtyNOY  → そのエピソードをラジオで岡村美穂子氏が話している(はじめの3分間)

  旧約聖書のこの有名な『禁断の果実』の話を 『禅』・・・で説く、人間が必要だろう今後も・・・

                   

           人間は生まれながらにして一度目の『リンゴ』を手にしている・・・、さて『二度目のリンゴ』はどうする?



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