昨日、3月11日は東北大震災13年目を迎えた。
大震災と大津波を起こした2011年という年は、海外在住の私にとって感慨深いものがあり、その思いは時間の経過に伴い先鋭化する。
2011年6月に私は最初のスマートフォンを手にしたが、そこから絶えず入手する日本の情報の量と質だけをみても、それ以前とは雲泥の差があり
以前であれば、震災の程度もその後の復興具合も知る手立てがなく、原発が如何に危険な発電方法であるか…などといった事も知らずに済ましていただろう。
地震大国の日本に2011年の時点で原子力発電所が54基が稼働していた・・・などという事実も徐々に知ることとなり、裏で企業と政治家の原発利権か絡んでいる事も知った。
何より原発事故の恐ろしさなど、原発の専門家やそれを専門とする大学教授等の話もインターネットを通して学ぶにつれ、政治に対する不信感を新たにし
それまでノンポリ(政治無関心)を自認して一度たりとも選挙に投票しなかった私が、60歳にして、初めて投票(在外投票)することになったのだ。
情報通信技術が著しく発展したからと言って、海外在住者による(在外)投票率が著しく高まったかどうか? 私はしらないが、
知人や友人が投票に行かない・・・という話を聞くにつけ、私の落胆は大きい。
日本の政治の腐敗はもう隠しようのないところまで来ている事は明らかで、それによって苦しい生活を強いられている大勢の同胞を救うことが出来る
かもしれない可能性に、私のたかが一票、されど一票・・・。
これまでそういった思いに到らず、ただ政治家等の金で薄汚れたような世界に関わりたくない、という利己的で幼稚な判断から投票しなかった自己を反省。
60歳になるまで、ノンポリだったお前のどの口が言うか・・・という批判は真摯に受け止めるのみ。
3・11の大震災、大津波は沢山の犠牲者を出した。 同時に日本の政治・経済のメッキがこれまた鮮やかに剥がれた象徴的出来事でもあったと思う。
犠牲者の『鎮魂』を思うとき、日本の真の再生の為になすべきは、私達の一票を投じる行いなのではないだろうか。
龍翔する雲の向こうに、白山(モンブラン)が控えている図
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