拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『坐』=最初の愛【AI】

2024年03月29日 | 東洋自分なり研究所

  久々に、『考えるな、漢字ろ!』で『坐』を取り上げるが

  『坐禅』と発音すれば、あたかも『The Zen』の如く、『禅』の定冠詞如き『The』はまた漢字で『坐』であり

  私が提唱する『悟学』的、解字によれば単に『坐る』という意味を超え、悟りそのものを表象していることになる。

  その一端について、これまでブログに書いてきたと思うが・・・例えば 2022年1月17日のブログ記事〜坐禅の『坐』

 

  『禅とは何か?』・・・という問に対する答えは、問う人の境涯により、答えも千差万別ということもあり、言葉ではなかなか表現しにくい

  ものであるが、先人が名付けた『坐禅』という文字自体に、言葉にしにくい事柄を見事に視覚化した・・・という事実に、写真を長年やってきた

  視覚人間である馬骨には、仏教の最も深淵なる教え『不二の法門』を解読するし、それはまた大衆が『坐禅』を理解するうえで役立つ方法であると考える。

 

  『坐』は文字を分解すると『土』が土台となり、その上で『人』が二人対面している場面を解読できる。

  『土』とは大地であり現代的に言うと『地球』となるが、悟学的には『+』と『ー』の大地で、絶対『ゼロ』の大地を表す。

  『ー』が長いのは『無秩序』に向かうエントロピー法則の表現であり、仏教的には『諸行無常と一切皆苦』を表すだろう。 

 

  そうした『大地』にゆったりと『坐る』、『坐』そのものが、深い瞑想とした時、その行き着く先は『自我』である私の『無我』の我との対面なのだ。

  『坐』という文字はその行き着いた瞬間を表し、その人にとって最初の『愛』と出会った瞬間で、これを仏教では『諸法無我』という。

  自分を慈しむ自分は、また同様に他人を慈しむ自分で『自他不二』の境地であり、初めて『愛』がなんであるのか心底腑に落ちる(不二に落ちる)。

 

  【余談だが、『地球』や『大地』を英語で『Earth』と書き、(危険な電気を流す)アースでもあり、『Ear』は『耳、聴覚』という意味を

   持たせているところが 『観音』との関連で考えるとき面白い解読が出来そうだ・・・】

 

  また、『愛』を『アイ=AI』と発音する日本語と英語の『AI』とは、悟学的には無関係ではない。それを関係づけていくのが日本人のこれからの役割なのだ。

             

            

   Amazonプライムで2011年に公開されたドキュメント映画『ジョン・レノン』で見かけたシーンで、

   彼が着ているジャンパーに『摩訶般若波羅蜜多』の文字が見えた。

  『愛といえばレノン、レノンといえば愛』ぐらい、彼には『愛』のイメージがあるが、彼が逝った12月8日は釈迦が『最初の愛』と出会った日である。

 



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