拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『覚醒剤』と『道』

2024年08月10日 | 東洋自分なり研究所

  『覚醒』・・・という言葉が『佛語』であるとすれば、

  禅修行をした、私にとって公案の『?』こそはまさに『覚醒剤』であろう・・・と考える今日此頃

 

  一方で、人をして廃人とする麻薬類を『覚醒剤』と名付けるとは、娑婆世界におけるなんと壮大な皮肉かと思うが、

  ここの違いに、私は『道』という概念の意味が持つ分岐点をみる思いがする。

 

  私の72年の人生の中で、私のことを『アナタはジャンキーですか?』と宣(のたま)った人が、なんとかの有名な篠山紀信氏であった。

  写楽賞授賞式での場での会話であった。幸か不幸か私は『ジャンキー』の意味を知らず、キョトンとしていたが、その頃ちょうど一週間の

  初断食明けで、私の痩せコケていた風貌と、コンクールに提出した自写像に写っている私が、写真を観る人を逆に凝視する

  異様な眼差しに対する、篠山紀信氏の感想がそう言わせたのであろう。

  この頃私は熱心に居士林に通い始めた時であったが、禅的『覚醒剤』である『公案』には未だ手を付けていなかった頃であるが

  そちらの『道』に、はまり込んでいたことは間違いなく、観る人によっては『ジャンキー(麻薬に溺れる者)』と見えたかもしれない。

 

  生を受け、自由を謳歌する人間に開かれる『道』は、行くべき『道』を示すと同時に、行ってはならぬ『邪道』というものも示すが

  その『道』を見出すための、人間の『覚醒』という手段の履き違い・・・が、人生の大きな分岐点となるのに、それに対する

  未成年の教育の貧しさが、恐ろしいほど貧しいことに私は懸念をおぼえる。

 

              

                我が街の『ダリア祭り』はレマン湖畔にあり、今朝の朝陽に輝くダリアたち



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