拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 お母さん!見て見て〜の天上天下唯我独尊

2017年07月23日 | 観自在
  仏陀は生まれた時、七歩あるいて『天上天下唯我独尊!』と叫んだ・・・という。

  このブログに何時だったか忘れたが(検索の仕方がいまだにわからない!)
  ネットでたまたま出会った記事を紹介した。それはロバート・ランザ博士の著書『How life and Consiousness Are the Key
  To Understanding the True Nature of the Universe(いかに生命と意識が宇宙の本質を理解するための鍵であるか)』

  この中で『量子論の生みの親であるマックス・プランクは『意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない』
  と驚きを持って受け入れ、ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者ユージン・ウイグナーも『意識に言及することなしに
  量子論の法則を定式化することは不可能だった』と語っている。・・・・

  こんな記事内容だった。 その時はボクはその記事の内容に非常に驚いて、ブログに単に書き写したのだった。
  が、5月一杯で退職して、6月にどういうキッカケだったか『量子論から解き明かす『心の世界』と『あの世』』という
  本、岸根卓郎著に出会ったのだ。そこで、初めて量子論という言葉を意識した。

  量子論のところは、本をよんだところでさっぱりわからないが、兎に角『ミクロの世界では観察者がいない場合
  電子は『波』の性質で、観察者がいる場合電子は『粒子』となる云々(デンデン安倍曰く)

  『電子の波』は『観察』すると一瞬にして『一点に収縮』するという電子の波の収縮、いわゆる『波束の収縮』
  これは別名『量子飛躍』とも呼ばれ、デンマークの主張者ボーアが活躍したコペンハーゲンにちなみ
  『コペンハーゲン解釈』とも呼ばれるようになった・・・というのだ。それに大反対したのが、
  あのアインシュタイン博士で、それが有名な『アインシュタインとボーアの論戦』で
  『波束の収縮における情報伝達の速さは、アインシュタインの特殊相対性理論にいう、この世では光速を超える
  速さは絶対にないとする主張をも完全に否定することになる』ということになるというのだ。
   ・・・ここまで来てなんかわかったような、ゼンゼンわからないような・・・
      (まァ、アインシュタイン博士すらよくわからないまま、お亡くなりになったわけだし)

  ここまで、話をひっぱってきてボクが何が言いたいかというと、『意識とか意思』の働きが やっぱり全てである  
  んだよな〜って言うこと。このブログのタイトル『拈華微笑』はまさにそうだろう。

  そう考えると、幼子がなにか新しいことに挑戦する時、必ず『見て見て!』と親に確認を求める。
  互いに観察することの確認が人間関係には絶対必要でそれが、ミクロ科学の世界でも何故かその観察
  してくれるものが必要になっている・・・ところが、めちゃめちゃ面白いところなんであるが、
  その事を仏陀は 坐禅をしていて、明けの明星をみた瞬間に『覚った』というのが、そのことであったのだろう。
  直観というか?!
  『天上天下唯我独尊』は観る者が同時に観られる者であり、互いに尊重し合う関係なのだ・・・と直観することなのだと思う。

     

          我が三日坊主画伯は何年かぶりで昨夜、筆をおとりになって何か描いていたが・・・・


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