このセリフ、子供のころ東映の時代劇映画なんかで、歌舞伎の場面で観たことがある…のだと思う。
北海道の片田舎で生まれ育ち、歌舞伎なんか見たことなかったのに、このかっこいいセリフだけは覚えていた。
だいぶ以前にも言ったが、釈迦が悟った内容が『縁起』・・・であったということを何かで読んだが、私には一番分からない言葉で、苦手な言葉であった。
そういえば、お正月は『縁起物』を至るところでお目にかかっていた。
辞書によると『縁起物』とは、縁起を祝うための品物。社寺や境内で売る、ダルマ、招き猫、熊手など。しめ飾り、門松など正月祝賀用の品物
上の図はネットで見つけた年賀状用のカードであるが、『縁起物』が描かれていて、『縁起』というものが、こんなに身近にあったのかと
改めて驚く。 と、同時に自分とはまったく関係がない『縁起物』であったなぁ〜・・・と、これにも改めて驚くのだ。
何故かと言うと、『縁起物』と言ってる目出度い奴等は、誰一人『縁起』を悟る人間などいないに違いないと思うから…。
馬骨に言わせれば 『 てめえ〜自身が「縁起者」なんだよ!』
『自分』という日本語…自ずと分かれ、自ずと分かる・・・この『分かれ、分かる』瞬間こそが人の『縁起』の原点であるからだ。
先日ブログに書いたけど、こうしてみると本当に日本の『正月』は単なる新年ではないんだね。
じつに『縁起』を悟ることを『縁起物』を店や社寺ににぎやかに並べ立てて、奨励、激励する文化なんだよ、私達の文化は。
面白いのは、誰もそれを知らないで互いに『縁起奨励』文化を盛り立てていることだろうか。
新年あけまして、おめでとうございます。
自ら縁起者になって『こいつぁ、春から縁起がイイわぃ!』・・・のセリフを声高らかに言ってみないか。
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