10年目の『3・11』を迎える。
どうなんだろう?私のように海外在住者(スイス)の持つ『3・11』の感慨と日本に住んでいる人達の感慨・・・
この実際の距離と距離感…の違いは、現実面でも情報量の圧倒的格差からくる印象の違いもあるだろうし、
遠いからこそ簡潔なものの見方が可能になり…(ならざるを得ない)大局的見地になれる。
当時59歳だった一日本人のオヤジの私は、大津波が福島県いわき市を飲み込む様子を引っ越し作業する現場、お客様のアパートの
テレビでただただ驚きの気持ちで見ていた。その翌日、12日に福島原発の1号機、14日に3号機、15日に4号機が爆発した・・・。
大地震と大津波以外にも何か大変な事が起こった…ということだけで、具体的に何が起こったのかその頃は正直良くわからなかった。
2011年の6月頃、私はスマートフォンを買い、ツイッターを始めることで、個人規模で発信する情報から大手メディアの情報まで
様々なテーマのニュースを目にするようになった。メディアもツイキャスやFacebook、Youtubeと徐々に広がり、それまで全く
関心がなかった政治の重要性と現日本の政治の杜撰さを知り、翌年2012年の衆議院選挙に生まれて初めて、日本から在外投票証
を取り寄せて、60歳で初投票となった。
そしてあれから10年の歳月が流れたが、日本は衰退するばかりだ。
1991年に私は渡欧し、私は日本人であることを誇りを持っていたし、当時ヨーロッパ人も日本人に対して一目おいていたようだ。
それが『3・11』を境に『先進国日本』が実は幻想の上に成り立っていた事実を、情報技術の発達にともない知る事となった。
私たち夫婦には子供がいないが、何も知らずに生まれてくる子供達には、少しでも良い日本、良い世界、良い地球・・・を、
と願わずにはいられない。
『3・11』は恐らく多くの成人日本人にとって、『生き方の原点』になっているはずで、私達は常にその原点に立ち返って
日本の事を考えてみる必要があるのだと思う。
私の住む近くにある職業専門学校の入口に『11.03.11』…と日本を激励する刻印がなされていた。(2011年4月撮影)