好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

求めよ、求めよ、求めよ

2005-02-12 09:41:59 | パラダイムレボリューション
 「共時性」を旅していました。生徒の声に応えたくて、仁一人の力では応えられなくて、生徒の声に応えられる人の心のエネルギーをもらいに行きました。たくさんの人たちの心に出逢い、たくさんの人たちの心のエネルギーをもらうことができました。今、この世界の、あちらこちらで、見ず知らずの人たちと、求めれば、心を交わすことができる、今、心が通じ合っている、あるいは呼び合っている、そう信じることができるのを実感しています。求めよ、しからば与えられん。求めることが基本なんだとわかりつつあります。求める力が蘇れば、人は一人じゃない、つながって生きていけるんだ。人は一人じゃない、サポートし合っているんだ。人は一人じゃない、求めることが人の心に愛のエネルギーを想起させることなんだ、という体感を持ち始めました。この体感はとても居心地がよくて、HAPPYです。このHAPPYがほしくなれば、求めればいい、・・・そんな単純な愛の法則を発見できそうな気がしています。
 木乃実さんの心のエネルギーをもらって、もっとほしがったら、ネイティブアメリカンの世愛の世界に導かれていきました。ロックを見ただけでなにやら大きなエネルギーに包囲されてしまいます。このエネルギーさえもらえるかもしれないと感じてしまいます。
 <何気なく開いた本のページに、探していた言葉を見つけて、はっとすることがある。ほしいと思っていたものが、翌日に手に入って驚くことがある。行きたいと思っていた場所を思い浮かべた数日後に、そこに誘われて驚くこともある。宇宙はいつでも私を驚かし、私を喜ばせ、私を見るべきものへ、行くべき場所へ、会うべき人へと導いてくれる。さて、今日、私が出会ったのは、ひさしぶりに開いたネイティブ・アメリカンの教えの本。読んで、心がすっきり晴れた。この本には、混乱したエネルギーをひとつにまとめる力がある。・・・>
 「共時性」の入り口に立っているのを感じます。いつでも出入り自由な入り口が世界にも人の心にもあるんだということを感じます。仁の身辺りにもそんな入り口があったんでしょうね・・・。仁の海馬がおかしいんですけれど、もう一度たどり直せば、出会い直しができるかもしれません。タオのプーさんのすすめで注文していた『海馬 脳は疲れない』と『タオ』が届きましたので、入り口がまた増えました。読みこなしきれないのが現実ですが・・・。牛歩で読んでいきます。
 木乃実さんの『タオ(老子)』の世界ももっと遊ばせてほしいと思っています。
 無知はHAPPYですね。一つ知ると一つ新しい世界が開ける。一つの心に触れるとまた新しい世界が開けていく。その世界も仁はまた忘れてしまって、無知に逆戻りしてしまうんですけれど、・・・世界は常に新鮮です。

時空遊泳の旅人達

2005-01-15 14:25:58 | パラダイムレボリューション
 明後日ばかり見てきた仁が少し過去を見直し始めようとしています。
 天外伺朗さんの『運命の法則』なんておもしろそうな本に出逢ってしまったのが運の尽き。金文堂の杉内さんが来たとき、「あっ、ちょっと待って、・・・頼みたい本があったんだ。名前を忘れた。最新刊。4,5日前の新聞に広告が載っていた・・・」本の名前さえ覚えていないのに、「わかりました。調べてみます」と杉内さん。これまた忘れていた頃に杉内さんが「ありました」といって持ってきてくれたのだ。
 <本書の基本的なスタンスは、そのように一般常識で切り捨てられ、排除されたものの中から、ドキッとするような真実を拾い出し、皆の目にさらしていくところにある。・・・>と前書きにある。このスタンスにもうはまってしまった。ちょうどBLOGを知ってこれまたはまりかけたところだったので、『運命の法則を読む』のカテゴリーを設けて、読み込みとBLOG上での探索・考察を同時進行させる企てをした。仁の記憶の海は当たり前のこととして空っぽだ。BLOGの存在を教えてくれたくれはやししゅんさんの『イコールの橋』を読んでいるとなんとまぁ地球誕生46億年の記憶の海が湧出している。伺朗さんの第一テーマ「共時性」に関して読み込んでみると至る所に描かれているのだ。こりゃぁおもしろいと思ったものだ。『イコールの橋』のトラックバックを辿ったらタオのPOOHさんに出逢った。「共時性」と「タオ」を一瞬に結びつけてしまったのだ。偶然は存在しない。地下水脈が通底しているのだ。しゅんさんもPOOHさんも老子さんもその地下水脈から湧出した水なのだ。その水が人の形になる。しゅんさんになり、POOHさんになり、老子さんになったのだ。同根だから共鳴しないはずがない。共鳴・共振。POOHさんは共鳴でシンクロして『イコールの橋』にワープしたのだろう。地球的な地下水脈だけではなく、宇宙的なワームホールでつながっているのだろう。老子さんとも繋がっているのだから時空を越えているのだ。伺朗さんが言っている『あの世』と『この世』がたたみ込まれた時空の遊泳者あるいは旅人達と名付けたいほどだ。
 ・・・と話しが流れて、また明後日を見てしまった。書こうとしたのは何だったっけ???過去の見直しだ!けれど、仁は19歳で時間がストップしている。そのあとは虚構の時間が流れて、虚構は事実を破壊して、今じゃ現実と虚構の判別はつかなくなっている。判別不能というわけじゃないが、判別無意味の世界がおもしろいと悟ったのだ。といってしまえば、共鳴世界から脱落してしまうことになるので、泡沫のひとときの出会い、存在の領域で、なけなしの過去をたどり直してみようと思ったのであった。・・・話しの初めに戻って、そうしないと『運命の法則を読む』のプログラムが進行しない。仁はまだ5ページしか読んでいない。しゅんさんやPOOHさんの生に「共時性」は見えても廃仁にはまだ見えていない。見えないまま先に行くのもしゃくだが、見えそうもないので、先に行くことにしよう。後戻り自由奔放、ケセラセラなのだ。

進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線

2005-01-13 16:42:45 | パラダイムレボリューション
 「共時性」に近づく

 BOOKアサヒコムの書評欄を見ていたら、≪進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 池谷裕二著 興味を誘う対話に教育の真髄を見た≫で注目が止まった。好奇心全開の誘惑。≪ [評者]天外伺朗(作家)≫で納得。何らかの力が仁をこの書評まで誘い込んだんだろう。これも「共時性」のエリアかもしれない。
 以下書評転載。

 ≪本紙掲載2005年01月09日
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進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 池谷裕二著
興味を誘う対話に教育の真髄を見た

本紙掲載2005年01月09日
 本書は、最新の脳科学を八人の高校生に四回講義した記録だ。だから平易なのは当然。だが、単なる教養書ではなく、最新の研究成果が紹介され、著者自身の仮説が熱く語られている。

 私自身は現在、脳科学と人工知能の統合を目指しており、この分野は専門に近いのだが、何度も感嘆の声を上げた。これほど深い専門的な内容を、これほど平易に説いた本は珍しい。人間の脳は環境に適応する以上に進化してしまったというのが、題名の意。

 私たちは常に、記憶があやふやなことに悩まされるが、その脳科学的なメカニズムが解説されている。さらに、そのあいまいさが、人類の融通無礙(ゆうずうむげ)な思考法に貢献していると説く。「下等な動物ほど記憶が正確」だ。どうやら、博覧強記型の人間は、動物としてはあまり上等ではないようだ(?)。

 意識の条件として著者は、「表現を選択できる」「短期記憶がある」「経験により脳の状態が変化する(可塑的)」の三つをあげている。これは議論の余地は大いにあるが、ユニークな視点だ。

 さらには哲学の分野に大胆に踏み入り、思い切った主張をしている。

 「心は脳が生みだしている」

 「身体が存在することによって、はじめて脳の機能が生じる」

 「私たちが世界を見ているのではなく、脳が(人間に固有な特定の)世界をつくり上げている」

 「自由意志(じゆういし)は潜在意識の奴隷だ」

 もちろん、これらの主張を裏付ける脳科学的な説明はあるが、学者の間でもホットな論争になっている。このような話題をスパッと提供しているのが本書の魅力のひとつだ。

 著者自身が「私自身が高校生の頃にこんな一連の講義を受けていたら、きっと人生が変わっていたのではないか」と自讃(じさん)しているが、百%賛成。生徒との対話を重ね、興味と興奮を盛り上げつつ核心を語る。これが教育の真髄(しんずい)だ。

 単に脳に関する興味を満たすだけでなく、人間とは何か、教育とは何かを考えさせる一冊だ。

 [評者]天外伺朗(作家) ≫

地霊の語り部

2005-01-10 21:09:01 | パラダイムレボリューション
 「共時性」の磁場


 <(前略)・・・酒を飲みながら、半分酩酊した声で、高橋は、私にこう呟いた。
「スミレさんが、娼婦だったのか、ヤクザの情婦だったのか、単なる卓球好きのお姉さんだったのか、ようくわからないけどさ、オレはあのあと、おれの進みたいと思った道を見つけて働いてきたのさ。真鍋もそうさ、真鍋も自分の進みたい道を、自分で考えてあれから歩きだしたのさ。卒業を、もう一度見てみたいもんだなあ。」
「おれも、少し、酔っぱらってきたよ、オレも、もう一度、映画(卒業)を見てみたいもんだ。」
もう、とっくに大相撲ダイジェストは終わっていて、赤提灯がかすかに揺れていた。>

 『荒川卓球場秘話』くれはやししゅん しゅんさんの青春譚がオモシロイ。かぎりなく広がる記憶の世界。誰もが思い至る一場面。百人百話。しゅんさんの語りを通過すると一つひとつの話が普遍性を持ち始めるから不思議だ。一つの言葉、一つの場面が、人の記憶の海につながって、共感を呼び覚ます。ほろっと涙がこぼれる。筑豊という風土に力があるのかもしれない。筑豊の地霊があるいはしゅんさんにヒョウエしているのかもしれない。・・・それは後の考察の課題に残して、スミレさんが高橋や真鍋の『運命の女神』だったことを知ればいい。学校や教師よりもずっとずっと大きな力で青年をエンパワーメントする存在が、昔はあった。しゅんさんの青春譚はそれを一つひとつ丁寧に拾い上げ、開示し、人の心に再生させていく。共感、共鳴の時空が生成されている。地霊の教育力といっていいのかもしれない。
 <・・・ここは、筑豊、直方の居酒屋。今年も、魁皇はだめだったか、店主がふと呟いた。海王にしとけば、よかったんだよ、なまじ魁皇などとするものだから、さきがけだろう、これじゃあ、しんがりさ、ちぇ。・・・>と呟く店の親父さんが存在する世界に人間力が内蔵されているのだ。「学力至上主義」の破綻が明らかになったのに、もう一度「学力至上主義」へ逆流する日本の教育はもう一度この風土力を再構築し直す必要があるだろう。・・・と、これも後の考察の課題であって、やっぱりオモシロイのはエロスの持つ力なのだ。青春の門が持つエロスの幻想は、今の子ども達に失われているのではないか・・・。エロスの幻想力を失っているからカオスに対峙できない消耗、逃亡型の恋愛が蔓延るのだ。その結果が没人類的状況。今の高校生の10人に一人が性感染症にかかっている。

命の井戸を掘る

2005-01-09 19:22:39 | パラダイムレボリューション
 「共時性」考

 ちょっと実感していますが、<求めよ、然からば与えられん>ですね。自分から出て行けば、求めるものがそこに待っている。それはわかっていたのですが、その意志と行動力が欠如していました。新生2歳の老仁がやっとこの年で、そのさぼりを悔い改めて、DO IT ! 1日48時間で求めていくことにしました。宣言実行。
 希世からもらったクリスマスプレゼントのお返しに毎日日記をつけることを希世と約束したんですが、その約束をしたことがきっかけで、五つもBLOG作ってしまい、飛び回っています。

  クリスマスプレゼント

 サンタのおじさんの存在を信じているかどうか・・・今の子ども達はほとんどお父さんかお母さんがサンタさんのふりをしてプレゼントを与えてくれていることを知っていて、サンタさんからプレゼントをもらったといっているそうです。サンタさんのプレゼントをもらえる子ども達はハッピーなんですね。願っても願ってももらえない子ども達は、本当にサンタさんが存在していつか自分にもプレゼント持ってきてくれると信じ、待ち続けているのでしょうね。こんな子ども達には、いつでも、どこでも、サンタさんが訪れて、夢を実現させてくれるプレゼントが与えられるようになってほしいと願っています。TAOのPOOHさんが言っている<TAOへの気づき> はこの子ども達への最高の贈り物になるでしょう。POOHさん達がそんな贈り物を子ども達に贈り続けてくれることを願っています。今こそ世界の子ども達に心のエネルギーを送り続けるときだと仁は思っています。
 <叩け、然からば開かれん>心のエネルギーを送れば子ども達の心は開かれます。心が開かれるともうTAOへの気づきが始まっています。子ども達こそTAOの源泉なんだ仁は感じています。

『三郎じいさんと蛙と鰹節』の中で

2005-01-08 19:02:10 | パラダイムレボリューション
 くれはやししゅんさんちのトラックバックから『三郎じいさんと蛙と鰹節』に導かれました。「共時性」の実話が語られています。くれはやしさんを選んだのは正解でした。これが縁でいい出会いがたくさん生まれそうです。作者は森の冒険家でTAOのPOOさんという人です。まだプロフィールで名前を知っただけですが、<TAO>で学びたいと好奇心旺盛になっています。
 ともかく『共時性』のお話を読んでくださいね。

 三郎じいちゃんと蛙と鰹節

 こんなお話を集めています。ネットワークしていきたいので、体験をお持ちの方、人の話でこんなのがあるよでも、こんな話本で読んだよ、でもいいです、『共時性』に関わるお話を教えてください。「コメント」お待ちしています。

「共時性」の発見ネットワーク

2005-01-08 16:33:06 | パラダイムレボリューション
 <運命の法則1・・・「共時性」を迷信として拒否しないで、心を開いて受け入れると、自分自身の人生が、驚くほど多くの「共時性」に彩られていることを発見できる>

 何度も語ってきたように愚仁、廃仁は句の海を喪失してきた。だから、人の共時性の体験を収集するしかない。みなさん、一つ、自分自身の過去と出会い直して、共時性の体験談を披瀝してくれませんか・・・。これは共有財産になるものだから、独り占めするのはもったいないですよ。できたら、あなたも、BLOG作って、ネットワークして、連帯・交心の磁場を創りだしていきましょうよ。
 参加をお待ちしています。

新生人<新暁>

2005-01-06 10:12:05 | パラダイムレボリューション
『運命の法則』を読む02
<第1章 共時性の法則
 宇宙には、目に見える物質的な秩序の背後に、目に見えない「精妙な秩序」が存在する。これは、日常生活の中で、「共時性」として観測できる。その「精妙な秩序」の法則性を見いだせば、「運命の法則」にアプローチすることが可能になる。>
<【共時性】・・・同じ意味を持つ、ふたつあるいはそれ以上の、因果的に無関係な出来事の同時生起>

 「目に見えない精妙な秩序」と「あの世」を重ねて、膨大な宇宙生成の源泉が想定される。TAOの根源と重ねて理解できる。生の次元で云えば<空即是色を生きる>スタンスだろう。はじめっから根元的生の探求エリアへ拉致されたような感じだが、これを日常の次元で検証しようというのだから、天外さんらしい大胆な問題提起だ。
 愚仁、、老仁、廃仁が新仁として蘇生するためにはこのエリアを通過しなければならないという必然性みたいなのは昔から感じていたのだが、無知のまんま、ワープされた次元から発想したり、放言したり、行動してきたりしていたので、それは唯我独尊の破天荒だったり、その昔くれはやししゅんさんに「観念肥大症候群患者」と揶揄・断罪されたエリアだった。そこを、あのころ、本気で、愚仁として、生きていたら、つまりは空即是色を生きていたら、今では共時性の時空を自在に語れたことだろうとちょっと悔しい思いもする。幻視したが、生きなかった老仁となってしまった。幻視して、そのビジョンを生きた人たちは数知れず。いま、身近に、そんな人の一人として、くれはやししゅんさんを見ることができ、感受できるのはとてもハッピーなことだ。

   変身 譚 春秋

 もっとそれを感受しながら、「共時性の法則」を日常の中に見つけ出していこうと考えている。愚仁の放談は観念肥大症候群現象のひとつだから、しゅんさんからは辟易されるだろうけれど、それどころか、同レベルに失墜させられると拒絶・糾弾されるかもしれないけれど、廃仁の妄想裡のしゅんさんを引き合いに出させてもらいたいと願う。
 これは実際のくれはやししゅんさんではありません。愚仁の妄想・フィクションとしてのしゅんさんです。という前提を表明しておきたいが、混乱を招かないように、これから語る妄想のくれはやししゅんさんを愚仁は、以後、<新暁>さんと呼ぶことにします。
 鬱の魔窟から日常を見ると日常世界が魔界に見えてくる。かって類人猿であった地球人が現生人類になった謎が、今の現生人類が新生人類に変貌していく謎として見えてくることに通じるのかもしれない。共時性を生きる新生人類はもうすでにじつぞんしているのだ。
老仁は妄想でしかその存在に出逢うことができないので、<新暁>さんを妄想していこう。

『運命の法則』を読む001

2005-01-05 12:49:15 | パラダイムレボリューション
 <本書の基本的なスタンスは、そのように一般常識で切り捨てられ、排除されたものの中から、ドキッとするような真実を拾い出し、皆の目にさらしていくところにある。・・・前書きより>
 天外伺朗さんが『運命の法則』という本を出した。天外さんの荒唐無稽でしかもちょっと科学的な時空は放談好みの老仁にはとてもおもしろくて、説得させられてしまう。死に向かうスタンスも天外さんの時空に親しんで身についてきた。
 <パラダイムレボリューション>の材料として『運命の法則』を仁流に読みながら、奇想天外を楽しんでみたくなった。
 前書きにあるように、天外さんに習って「ドキッとするような真実」を拾い出していきたいものだ。一つでも拾い出せたら病みつきになることだろう。
 もしこのBLOGに読者さんがいたら、あなたも一緒に「ドキッとするような真実」を発見していきましょうよ。できればみんなで共有できるように「コメント」に書き込んでくださいね。