好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

「永遠の舞い」ってなに?

2005-02-24 13:26:07 | パラダイムレボリューション
 <座っているときは、まるでそこにいないかのように平らかなのに、話しはじめると、まるで虹がかかったようにダイナミックになる人。瞑想しているときは年老いた賢者のように厳かなのに、踊っているときには無垢な赤ん坊のようにきらきらと笑う人>・・・そして、<チャーミングでセクシーでダイナミックで、幼子のように純粋で賢者のように荘厳な人。水晶のように透明で、光を反射すると虹色に輝く人>を木乃実さんの紹介してもらいました。木乃実さんが瞬時に好きになった人です。そんな人っているんですね。そんな人に出会えるのもやはり特権的な享受力を持ち合わせていないとだめなのでしょうね。木乃実さんがそんな人の出現を求めていたからその人が出現したと言ってもいいのかもしれません。<道のりは 短くても長くても/想うことで 可能性が広がる/何を望む/何を願う>と93MRさんが詠い、このフレーズを木乃実さんが好きになる。そして、木乃実さんは 「私もあんな50代になりたい!!」 と願う。命が連なり合って舞うのを感じます。一つひとつの命が自分自身でありながら、自分自身であることが命の連なりとして一つのハーモニー、一つの舞いを創りだしていく。共鳴・共振が舞いのモードなのかもしれません。そんなこと想っているとジーンさんエリオットの「永遠の舞い」を紹介してくれました。
 <回転する世界の中心に不動の点・・・肉もなく、肉ならぬものもない、来ることなく、向かうこともない
その中心に舞いあがる しかし、それは停止でもなく運動でもない、だから固定とは呼べない 過去と未来とが一つに集まるところ
そこから来ることも、そこに向かうこともない
上昇もなく、下降もない ただ点、不動なる点・・・
そこに舞いはなく、そこにただ一つの舞いがある。

   (T・S・エリオット『四つの四重奏曲』「焼け果てしノートン」)

 エリオットの隠喩につづけていいますと、私たちは永遠なる舞いの一部分なのです。その舞いにとっては、私たちの上に、あるいは内に起こるようなものは何もありません。そしてその舞いそのものは永遠に、正確に、繰り返されています。その底には、私たちを含めた宇宙のすべてのものを一つにつなぐ原理が隠れています。

 『タオ こころの道しるべ』ジーン・シノダ・ボーレン著より (p29)>

 木乃実さんが<私もまた、新しい夢を想い描き始めました。大きな、大きな夢。それを実現するために宇宙を信頼すること>とコメントしているのを見ました。どんな「大きな夢」なんだろう、・・・もう好奇心全開です。ワクワクランドにましぐら。