好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

言葉あそび575交心w12k121401『 木枯らしや牧場に牛の影もなし 』

2012-12-20 19:40:32 | 今漢字のはじまりがおもしろい


★。・。・゜♪゜・。・。★ 言葉あそび575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★





★★★ 言葉あそび575交心w12k121001『 雪落ちて森のゆらぎに異界の気 』 への交心です。 ★★★
 





★ 言葉あそび575交心w12k121401

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木枯らしや牧場に牛の影もなし

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 雲人さん、いつも交心ありがとうございます。
 お返し交心が遅くなってしまいました。ご寛容ください。


 「仰天は、アア、カミサマ、と天を仰ぐんです」と天を仰ぐことを仰天と呼びましたけれど、アア、カミサマ、は祈りの姿ですね。カミサマは天にいると殷の時代にはすでにそう信じられていたそうです。
 ひどく吃驚した時に仰天というのですけれど、「驚く」という字は「敬」と「馬」でできています。敬は尊敬の敬ですから、「馬」が「敬う」ことを驚くというんですね。
 馬は従順な家畜で人間に使役されてきました。犬と同じくらい飼い慣らされてきています。酷使しますから鞭で脅していうことをきかせるんです。鞭で酷使されてきたから鞭が怖いんですね。いつもびくびくしています。
 <馬はとくに驚きやすい動物であるから、イマシメられて(注意されて)驚く馬が驚で、「おどろく」という意味を示した>   『字解』p143
 馬はわたしたち民によく似ていますね。
 ニンジンを目の前にぶら下げられると余所目をしないで働くんです。

 「私」という字も「禾のぎへん」=稲作のために「ム部」=鋤を持って耕作させられる農奴を意味していました。王=神に使役されてきたんです。
 「民」は人間らしく生きたいという知恵を持たないように針で目を潰した形です。「見ざる聞かざる言わざる」の状態で酷使するんです。
 鞭が怖いのは馬だけではありませんね・・・
 今も事情はそう変わっていませんね。アメとムチが妖怪のごとく罷り通っています。・・・


 木枯らしや牧場に牛の影もなし   仁


 獣も人も塒に籠もる


 塒は唯一労役から解放された安楽の一休みです。
 でも、知恵を奪われていますから、安楽を貪るだけなのでしょうね・・・
 知恵を持ち合わせていないと遊ぶ力も湧いては来ないようです。
 凡愚老仁は、人間が持てるようになった最高の宝物は遊ぶ力、遊ぶ知恵だと思っているのですけれどね・・・


 尊敬の「敬」はどんな語源を持つのでしょうか?
 「敬」は「ケイ」と「ボク」を組み合わせたもので、甲骨文字は「羊の頭をした人が跪いているいる形」だそうです。羊の頭をした人というのは<牧畜をするチベット系のキョウ人で、犠牲に使うために捕らえられていた。ボクは小枝を持って打つの意味。敬は犠牲としたキョウ(羊の下に「儿部」にんにょう、ひとあし)人の前に神への祈りの文である祝詞を入れる器の口サイを置き、キョウ人を後ろから殴ウって神意を責めイマシ(人偏に敬)めるの意味でとなる。敬は何かを神に祈る呪儀であるから、そのときの神にうやうやしく仕える心を「うやまう」という>(『字解』p167)と解説してあります。

 驚きですけれど、もう既にこの頃からチベット系の人たちは侵略され、奴隷化させられていたんですね。人間の歴史は征服の歴史として、文字化された歴史にははじまっていくんです。
 ウィキペディアによると<中華思想(ちゅうかしそう)は正式名を華夷秩序(かいちつじょ)と言い、黄河の中流域(中原)で発生した極端な選民思想である。即ち、漢民族の内で「人間」扱いされるのは君主のみであり、臣下は「家畜」とまでは行かずとも「奴隷」を自称し、民衆は「民草」の表現通り「雑草」として扱われる。また非漢民族は「禽獣」と「虫けら」扱いとされ、征伐や民族浄化の対象となっている。>といいます。殷の時代にも中夏思想として同じような考えがはじまっていたのですね。
 ルネサンスのヒューマニズムの思想が誕生するまで絶対王政とカトリック教会がヨーロッパを支配します。市民革命にはじまる人権の歴史も帝国主義戦争で中断させられ、その帝国主義戦争の列強の世界戦略はなお強化されて米国覇権主義と復活中華思想の激越な冷戦状態に突入しているようです。軍需産業を支配する闇帝国が崩壊されない限り戦争を回避する道筋は戦争放棄の<平和憲法>の樹立と連帯しかないでしょう。
 個人的には自然法に則り、ガンジーさんの非暴力・不服従とチャップリンさんの反戦のヒューマニズムを道標に主体的な生を貫ける人間になっていくよう念じたいと念います。


 死の灰のこの世を異界に変えゆくか   仁


 銭という魔の跋扈する世に


 生贄のキョウ人を敬いの代行として作られた「敬い」の原義は、今でも、権力用語として使われているので、その異図を読み解ける能力と権力機構に騙されない主体性を培わなければならないことを開示してくれます。
 一休さんの頓知は権力言語に抗って生きる人間の知恵のことでしょうね・・・
 異界がこの世に現れていますけれど、この世はカミの現れる世だと凡愚老仁は念じるようになりました。


 本当に敬うべきは、命在るものを育み、守る天地自然の恵みと調和の大いなる力なのでしょう。その不思議な大いなる力を古代の人も、今の人も、等しく、カミと感じて、畏れ敬いの心を抱いて、祈りもし、請願もしてきたのでしょう。
 カミは自然の一つ一つであり、天地宇宙の総体であり、命と添い合って存在する何か、命の大本であるような何か大いなる力なのでしょう。


 降る雪や天に日月地に命   仁


 祈る心にカミ現れる


 交心の言葉によって、白川漢字の『字解』を読んで、言葉の始まりの好奇心を満たさせてもらっています。その上また一茶さんのカミに巡り遇いましたので、命令の神ではない、寄り添いのカミさんを、凡庸のちっご平野に探す楽しみも見つけました。
 お喋りがすぎましたけれど、雲人さんの寛容の心に寄りかからせてくださいね。

 ありがとうございます。



※ キョウ人=キョウは「羊部」の下に「儿部」(にんにょう、ひとあし)」の形。羊の頭をした人で、牧畜をするチベット系のキョウ人。犠牲に使うために捕らえられていた。

 ※ イマシめる=「人部」(にんべん)に「敬」。意味は戒める、縛める、誡める、警めるに同じ。「攴ボク部」(ぼくづくり、ぼくにょう)や「戈ホコ部」(ほこ、ほこづくり)で脅され、従順になる。





★。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★。・。・゜♪゜・。・。★



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