★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 都々逸で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 都々逸で交心ty1703
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今日こそ云うよわたしのまこと
与える愛に燃え尽くす
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☆☆☆ 愛呼さんの『 今夜こそ・・♪ー32 』 への尻取り都々逸交心です。 ★★★
> 今日こそ云うよ こちらを御向き
愛してるのは あんただけ~~ 愛呼
愛しているのはわたしだけなの
もっと大きく愛してよ 旅仁
「愛しているのはあんただけ・・・」
だからあんたも愛しておくれ
このわたしだけ一筋に。
いつまでつづくナルシスごっこ
愛のステップ、ジャンプしようよ。
≫ 愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。 フロム
与える愛へのステップジャンプ。
恋のナルシズムはお互いの自己愛だけに止まるなら、自己愛と自己愛のぶっつかり愛で、そのうち内部から破綻していくでしょう。その破綻が怖くて、もっと強烈に自己愛を求めて、お互いを縛り愛に閉塞させられていくことが多いようです。
ひどくなると自分たちの子どもへの愛にさえ嫉妬するようにもなるのです。
わたしの方よりも子どもの方へ愛が強く向かっている。わたしへの愛が冷めはじめているのだ。子どもへの愛もごまかしで、誰か外の女を愛しはじめているのではないか・・・そんな疑いが芽生えると、猜疑心の雪だるまは坂を転がり回るのです。急な仕事で夜が遅くなりでもしたら、さぁ大変!
子どもはかすがい。
子どもへの愛の分かち合いが家族という絆を強める愛の本質であり、愛の力の原動力なのですけれど、その芽生えさえも踏みにじられていくようです。
せめて子どもをかすがいに愛の創造へのステップジャンプに移行できればいいのですけれどね・・・
「かすがい」も外部のものですから、「子はかすがい」というのはこれもナルシズムの勢力範囲内で、子どもを手段として利用する要素が濃くなっていきます。
子どもは根源的な愛の力の源泉なのですけれど、自己愛ナルシシズムの勢力が強ければ所有欲、権力欲、ナショナリズムにまで増殖する煩悩源にもなるのです。太閤秀吉の夢のまた夢の反復の歴史が繰り返されています。
≫ 愛を与えるというのは、自分の中に息づいているもの、愛する者へ自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与えることがだ。 フロム
自分自身の自然な人格をそのまんま愛する者と分かち合うことが愛だということでしょうね。
自分自身を、愛を、愛する者を、子どもを、手段として扱うな。愛を目的として創造的に分かち合え、というフロムの絶叫のように聞こえます。
地上に平和を実現せよ、と絶叫しているように感じます。
鄙隠り凡愚老仁の誇大妄想妄語遊びです。
笑って、妄語の花咲かせてくださいね。
こちらをお向き愛をあげるよ
何が欲しいの素直にね 旅仁
今日こそ云うよわたしのまこと
与える愛に燃え尽くす 旅仁
> 万葉集10ー1885 物皆は新しき良し ただしくも人は古り行く宜しかるべし 作者不詳
何だって新しいものは
いいものだよ。
それはそうだけれどね、
人間だけはね、
古くなるほど良いものなんだよ。
古木好しスローに滋味の芽を吹きぬ 旅仁
老いを疎めば失うまこと
空なれば蘖るまま歌わんか 旅仁
小私なれども歓喜満ちけり
★ 妄恋575交心ty1707
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古木好しスローに滋味の芽を吹きぬ
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古木好しスローに滋味の芽を吹きぬ
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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