<「真っ白な年、まだ未来は心(ここ)の中。素敵な未来を思い描くと、きっと素敵な未来が足音立てて遊びに来ますよね」って、いいフレーズですね。
アメリカのお医者さんでディーパック・チョプラという人がいるのですが、彼によれば、私たちは太陽と同じようにそれぞれ固有の光の波長を持っていて、心で思い描いていることが波となって現実の世界に波及して、その波長と同じ現実を引き寄せるらしいです>
光の先輩さんたちのメッセージを読みとる力を得た木乃実さんがいて、読みとる力は共振だから、共振の中で波長が同じになっていくんでしょうね。光が波動であるように、愛もまた波動だから、光さんたちの愛は木乃実さんの愛となって生命を得ることになる。命を得た愛は波動としてあらゆるものに分け与えられるでしょう。波動は時に生きるエネルギーとなり、時には道しるべの言葉になり、時には愛のドラマになる。一つぶの滴は流れて、大河になり、大河は雲となって山に戻るんですね。降りては昇り、降りては昇り、多くの光さんたちが、星のように瞬き、太陽のように燃え、銀河のように広がっていきます。
聖マリア病院で診察を待つ間、洞ののマリアさんを見ていました。雪が降りかかります。風に舞う雪さんたちが光さんに変わるような気さえします。変幻自在の舞いを幻想さえするのです。それらはみなマリアさんから解き放たれているような気もしました。マリアさんが佇んでいる洞は雪も届かず暗いのです。その暗さの中から波動が吹き出していて雪と光を舞わせているのでしょうか・・・。<天と地の出てきた神秘の門、あれを開いて、母と遊ぶことができるんだ>そういう思いをもちながら、祥造さんのTAO第10章を読んでいたんです。昨日、<もう先輩さんたちの言葉か木乃実さんの言葉か区別がつかないほどに木乃実さんは光さんたちの世界になじんでいた。どうしてこんな奇跡が起きるんだろう・・・。>と不思議に思っていました。でも、答はすごくシンプルだとわかりました。<われら心と肉体を持つものは、ひとたびタオの道につながれ、体と心は離れないようになる>。素直に戻れば玄の力が湧いてくる。直観で感じたように、セドナの旅が木乃実さんのバリアを解き放ってくれたので、木乃実さんは神秘の門をくぐることができたんでしょうね。玄の又玄。<ひとの玄(おく)にある深い力が、いちばんよく働く>ところに木乃実さんは行くことができたんだ。
<やっとここまで来たね>、セドナの旅で木乃実さんを初めて迎えてくれた天の声です。そして、今、<「よく来たね。つらい思いをして、手放して、よく来た」>と迎えてくれる天の声があります。マスターになるには資格試験があるのかどうか愚仁は知りませんけれど、「よく来たね」はマスターの世界の市民権を獲得した人へのねぎらいの言葉なのではないでしょうか。・・・木乃実さんは、光の先輩さんたちのメッセンジャーなのではなく、光の先輩さんたちの仲間入りをしたひとりの光さんになったのでした。
貫いて我を撃ちたる春の雷 仁
遠くで轟く春雷が鈍く鈍く近づいてきて、足元に舞い始め、そして螺旋状に舞いあがって、脳天を駆け抜けていきました。外に目をやると洞のマリアさんに雪は同じように舞いかかっています。愚仁は木乃実さんというマスターに出会っているように感じました。
数十日前、鈴音さんというTAOな人に出会い、弟子入り志願をして、鈴音さんから弟子入りを認めてもらったばかりです。二人の師を持つなんて不届きで、罰当たりなのでしょうけれど、学びの喜びはかけがえのないものですから、この喜びをあたえてくれる人は老仁にはかけがえのない師なのです。欲張りですけれど、もっともっと、たくさんの師に出会えるようにシンクロニシティの旅を続けたいと思います。シンクロニシティの旅はフローの旅と呼び替えてもいいのかなぁと思っています。
『天からの声』 へどうぞ!
アメリカのお医者さんでディーパック・チョプラという人がいるのですが、彼によれば、私たちは太陽と同じようにそれぞれ固有の光の波長を持っていて、心で思い描いていることが波となって現実の世界に波及して、その波長と同じ現実を引き寄せるらしいです>
光の先輩さんたちのメッセージを読みとる力を得た木乃実さんがいて、読みとる力は共振だから、共振の中で波長が同じになっていくんでしょうね。光が波動であるように、愛もまた波動だから、光さんたちの愛は木乃実さんの愛となって生命を得ることになる。命を得た愛は波動としてあらゆるものに分け与えられるでしょう。波動は時に生きるエネルギーとなり、時には道しるべの言葉になり、時には愛のドラマになる。一つぶの滴は流れて、大河になり、大河は雲となって山に戻るんですね。降りては昇り、降りては昇り、多くの光さんたちが、星のように瞬き、太陽のように燃え、銀河のように広がっていきます。
聖マリア病院で診察を待つ間、洞ののマリアさんを見ていました。雪が降りかかります。風に舞う雪さんたちが光さんに変わるような気さえします。変幻自在の舞いを幻想さえするのです。それらはみなマリアさんから解き放たれているような気もしました。マリアさんが佇んでいる洞は雪も届かず暗いのです。その暗さの中から波動が吹き出していて雪と光を舞わせているのでしょうか・・・。<天と地の出てきた神秘の門、あれを開いて、母と遊ぶことができるんだ>そういう思いをもちながら、祥造さんのTAO第10章を読んでいたんです。昨日、<もう先輩さんたちの言葉か木乃実さんの言葉か区別がつかないほどに木乃実さんは光さんたちの世界になじんでいた。どうしてこんな奇跡が起きるんだろう・・・。>と不思議に思っていました。でも、答はすごくシンプルだとわかりました。<われら心と肉体を持つものは、ひとたびタオの道につながれ、体と心は離れないようになる>。素直に戻れば玄の力が湧いてくる。直観で感じたように、セドナの旅が木乃実さんのバリアを解き放ってくれたので、木乃実さんは神秘の門をくぐることができたんでしょうね。玄の又玄。<ひとの玄(おく)にある深い力が、いちばんよく働く>ところに木乃実さんは行くことができたんだ。
<やっとここまで来たね>、セドナの旅で木乃実さんを初めて迎えてくれた天の声です。そして、今、<「よく来たね。つらい思いをして、手放して、よく来た」>と迎えてくれる天の声があります。マスターになるには資格試験があるのかどうか愚仁は知りませんけれど、「よく来たね」はマスターの世界の市民権を獲得した人へのねぎらいの言葉なのではないでしょうか。・・・木乃実さんは、光の先輩さんたちのメッセンジャーなのではなく、光の先輩さんたちの仲間入りをしたひとりの光さんになったのでした。
貫いて我を撃ちたる春の雷 仁
遠くで轟く春雷が鈍く鈍く近づいてきて、足元に舞い始め、そして螺旋状に舞いあがって、脳天を駆け抜けていきました。外に目をやると洞のマリアさんに雪は同じように舞いかかっています。愚仁は木乃実さんというマスターに出会っているように感じました。
数十日前、鈴音さんというTAOな人に出会い、弟子入り志願をして、鈴音さんから弟子入りを認めてもらったばかりです。二人の師を持つなんて不届きで、罰当たりなのでしょうけれど、学びの喜びはかけがえのないものですから、この喜びをあたえてくれる人は老仁にはかけがえのない師なのです。欲張りですけれど、もっともっと、たくさんの師に出会えるようにシンクロニシティの旅を続けたいと思います。シンクロニシティの旅はフローの旅と呼び替えてもいいのかなぁと思っています。
『天からの声』 へどうぞ!