★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 平和の砦575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 平和の砦575交心zsk1905
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過ちを見抜く眼力鷹の空
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武蔵さん、
『戦争論』はその歴史と影の金融資本の仕組みがわかりやすく、ぼくのような鄙老仁にでも、少し理解できたように感じます。
心豊かな武蔵さんに読んでもらえるとHappyです。武蔵さんのご意見もお聞かせ願えると、より現実的に、選ぶべき道筋が見えてくるようで、嬉しくなります。
よろしくおねがいします。
苫米地さんの論理も、そう特別なことではなく、多くの人によって、展開されている歴史の読み方だろうと思います。
奪われし真見る眼を冬薔薇 仁
過酷な夜にも花は芽生える
> 以上の通り、「日清戦争」と「北朝鮮問題」を比較すれば、その間にいくつかの決定的な共通点があることがお分かりいただけたのではないかと思う。
●第一に、朝鮮半島は日本にとって常に考え続けなければならない課題であるということ。これは、時代がどう変わろうとも、日本が朝鮮半島の隣に位置しているという地政学的な事実が不変である以上、変わらないのだ。
●第二に、朝鮮半島を巡る争いの本質は、すぐれて経済問題であるということ。とりわけ、目に見える世界の出来事だけではなく、金融資本主義という「見えない世界」にまで思いを馳せると、その実態が良く見えてくる。
●第三に、日本が朝鮮半島との関係で奮闘する中で、同盟国(かっての英国、現在の米国)をはじめとする各国が常に触手を伸ばしてきており、何とかして漁夫の利を得ようとしているという構図は変わってはいないということ。
明治は決して遠い昔の時代ではない。むしろ、冷戦構造という特殊な壁が崩れ去った後の現代は、かえって当時と近似した図柄で世界が動く時代なのである。現代日本人にとって、今や、明治ほどアクチュアルな時代はないと言っても過言ではない。 。。。原田武夫『アメリカの論理』p240
これは原田武夫さんの「東大講義録」の引用です。
官僚になっていく東大生のほとんどが米国のエイジェントになっていくような実態を憂慮して、「新しい日本人」としての選択肢を問題提起してくれています。
戦争をしない日本になる道は、文化的にも経済的にも、日本国憲法の遵守という70年の歴史的実績が蓄積されていますが、やはり金融資本の雲行きが怪しくなって、米国隷従の政権と官僚体制は、「大日本帝国憲法」への幼児返りをしてきました。
米国エイジェントに、政治を任せている限り、日本の独立はなく、再び、長州閥の支配システムに順って、「朝鮮戦争」の戦略に嵌め込まれ、食い物にされてしまい、破壊と貧困の歴史を繰り返すことになってしまうのだと思います。
戦争は、権力者と少数の支配階層に属する人たちの世界を温存させるマネーゲームであり、市民殺しの戦争ゲームです。覇権主義の戦勝国は、「会議は踊る」で戦後世界の取り分を決めていくのでしょう。
一般市民にとって、戦争は、何の利益ももたらしません。庶民にとって、どんな戦争も、市民殺しの最大犯罪です。敗戦前の全土無差別空襲も二度の原爆も、国家犯罪として、罰されるべきだし、その国家犯罪を罰することのできる国際法廷と新しい国際連合を創生、構築していくことを希望する道を選びたいと念じます。
明治維新の過ちも太平洋戦争の過ちも二度と繰り返さないためにも、戦争賛美の潮流に流されることなく、主権者として、いつでも本音で、主権者としての行動、生き方を選べる歴史教養を身につけ、今からでも遅くはない、本音で話し合って、新しい市民としての人間力を養成していきたいと念じます。
> 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 。。。憲法9条一項
この9条は、やはり庶民の暮らしと命を守る根源的な良心であり、国際平和の精神であると思います。
過ちを見抜く眼力鷹の空 仁
生きる力は五分の魂
> しかし、個人が選ぶべき生き方を無理強いすることはできない。したがって、この本を読んで、米国にとっての日本人協力者(エージェント)の道を選ぶか、あるいはあくまでも媚びない「新しい日本人」の道を選ぶかは、読者自身の人生選択に委ねられている。
そこで、この本の最後の「講義」となるこの講では、この二つの選択肢のどちらを選ぶべきかを考える際に参考にすべきポイントを3つ取り上げていくことにしたいと思う。「協力者たちの末路」、「カネからモノへの変化 」、そして「NPO法人を主体とする社会起業」である。この3つは何も絵空事ではなく、いずれも実は既に現代日本にその兆候が現れているものなのであるが、見える人にしか見えていない。 。。。原田武夫『 アメリカの論理 』p244
青年に委ねる希望冬銀河 仁
心添わせよ冬の蝶にも
愚痴こぼす死に際までも冬の蠅 仁
あそぶこころの残す未練か
長長と念いをつぶやかせてもらいました。
一寸の虫にもしかない鄙隠り老仁のつぶやきですが、往生際の悪い奴だと、笑って、ご寛容ください。
以上、
★★★ 平和の砦575交心zsk1806『 返り花和して動ぜぬ和人の知恵 』 への交心です。!!! ★★★
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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過ちを見抜く眼力鷹の空
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武蔵さん、
『戦争論』はその歴史と影の金融資本の仕組みがわかりやすく、ぼくのような鄙老仁にでも、少し理解できたように感じます。
心豊かな武蔵さんに読んでもらえるとHappyです。武蔵さんのご意見もお聞かせ願えると、より現実的に、選ぶべき道筋が見えてくるようで、嬉しくなります。
よろしくおねがいします。
苫米地さんの論理も、そう特別なことではなく、多くの人によって、展開されている歴史の読み方だろうと思います。
奪われし真見る眼を冬薔薇 仁
過酷な夜にも花は芽生える
> 以上の通り、「日清戦争」と「北朝鮮問題」を比較すれば、その間にいくつかの決定的な共通点があることがお分かりいただけたのではないかと思う。
●第一に、朝鮮半島は日本にとって常に考え続けなければならない課題であるということ。これは、時代がどう変わろうとも、日本が朝鮮半島の隣に位置しているという地政学的な事実が不変である以上、変わらないのだ。
●第二に、朝鮮半島を巡る争いの本質は、すぐれて経済問題であるということ。とりわけ、目に見える世界の出来事だけではなく、金融資本主義という「見えない世界」にまで思いを馳せると、その実態が良く見えてくる。
●第三に、日本が朝鮮半島との関係で奮闘する中で、同盟国(かっての英国、現在の米国)をはじめとする各国が常に触手を伸ばしてきており、何とかして漁夫の利を得ようとしているという構図は変わってはいないということ。
明治は決して遠い昔の時代ではない。むしろ、冷戦構造という特殊な壁が崩れ去った後の現代は、かえって当時と近似した図柄で世界が動く時代なのである。現代日本人にとって、今や、明治ほどアクチュアルな時代はないと言っても過言ではない。 。。。原田武夫『アメリカの論理』p240
これは原田武夫さんの「東大講義録」の引用です。
官僚になっていく東大生のほとんどが米国のエイジェントになっていくような実態を憂慮して、「新しい日本人」としての選択肢を問題提起してくれています。
戦争をしない日本になる道は、文化的にも経済的にも、日本国憲法の遵守という70年の歴史的実績が蓄積されていますが、やはり金融資本の雲行きが怪しくなって、米国隷従の政権と官僚体制は、「大日本帝国憲法」への幼児返りをしてきました。
米国エイジェントに、政治を任せている限り、日本の独立はなく、再び、長州閥の支配システムに順って、「朝鮮戦争」の戦略に嵌め込まれ、食い物にされてしまい、破壊と貧困の歴史を繰り返すことになってしまうのだと思います。
戦争は、権力者と少数の支配階層に属する人たちの世界を温存させるマネーゲームであり、市民殺しの戦争ゲームです。覇権主義の戦勝国は、「会議は踊る」で戦後世界の取り分を決めていくのでしょう。
一般市民にとって、戦争は、何の利益ももたらしません。庶民にとって、どんな戦争も、市民殺しの最大犯罪です。敗戦前の全土無差別空襲も二度の原爆も、国家犯罪として、罰されるべきだし、その国家犯罪を罰することのできる国際法廷と新しい国際連合を創生、構築していくことを希望する道を選びたいと念じます。
明治維新の過ちも太平洋戦争の過ちも二度と繰り返さないためにも、戦争賛美の潮流に流されることなく、主権者として、いつでも本音で、主権者としての行動、生き方を選べる歴史教養を身につけ、今からでも遅くはない、本音で話し合って、新しい市民としての人間力を養成していきたいと念じます。
> 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 。。。憲法9条一項
この9条は、やはり庶民の暮らしと命を守る根源的な良心であり、国際平和の精神であると思います。
過ちを見抜く眼力鷹の空 仁
生きる力は五分の魂
> しかし、個人が選ぶべき生き方を無理強いすることはできない。したがって、この本を読んで、米国にとっての日本人協力者(エージェント)の道を選ぶか、あるいはあくまでも媚びない「新しい日本人」の道を選ぶかは、読者自身の人生選択に委ねられている。
そこで、この本の最後の「講義」となるこの講では、この二つの選択肢のどちらを選ぶべきかを考える際に参考にすべきポイントを3つ取り上げていくことにしたいと思う。「協力者たちの末路」、「カネからモノへの変化 」、そして「NPO法人を主体とする社会起業」である。この3つは何も絵空事ではなく、いずれも実は既に現代日本にその兆候が現れているものなのであるが、見える人にしか見えていない。 。。。原田武夫『 アメリカの論理 』p244
青年に委ねる希望冬銀河 仁
心添わせよ冬の蝶にも
愚痴こぼす死に際までも冬の蠅 仁
あそぶこころの残す未練か
長長と念いをつぶやかせてもらいました。
一寸の虫にもしかない鄙隠り老仁のつぶやきですが、往生際の悪い奴だと、笑って、ご寛容ください。
以上、
★★★ 平和の砦575交心zsk1806『 返り花和して動ぜぬ和人の知恵 』 への交心です。!!! ★★★
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