好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

私は小さい頃手術受けたことがある     by 耶亜真

2005-02-10 09:18:49 | コラム記事
 猿渡瞳さんのコラムを読んで、この人はスゴイって思った。読んでて、そうだなって思った。読んでて涙が目からこぼれそうになった。『生きていける』ことがあたりまえすぎて、そのありがたさに気づかない。余命~年えいわれたら、やっぱ、人生観とか性格とか変わりそう。
 私は小さい頃手術受けたことがある。心臓病の。0歳の頃のことだから覚えていないけど、生きててよかったって思った。本当に思う。今も病院行ってて、面倒くさいって思う。でも、だから、『生きたくても生きられなかった』『生きようと病気と闘っている』そんな言葉が心にくる。誰もがいつ死ぬかわからない。でも病気とかじゃなくて、事故とかだから、自分の死を身近に感じれない。『生きたくても生きられなかった』『生きようと病気と闘っている』の人びとのためにも、自分らしくってよくわからないけれど、そんな風に生きていきたいって思う。余命~年っていわれても、“ひきこもり”とかじゃなくて、『生きたくても生きられなかった』『生きようと病気と闘っている』みたいに思えたらいいなって思う。『生きたくても生きられなかった』『生きようと病気と闘っている』っていわれている人もそうじゃない人も。
 『生きたくても生きられなかった』『生きようと病気と闘っている』みたいに思える人にもっといてほしい、生きてほしいって思った。どうして殺人を犯すような人が生きて、瞳さんのような人が生きれないのだろう。殺人犯の人たちとかに瞳さんのコラムを読んでほしいと思う。本当に“命”っていうものをわかっている人たちが増えてほしい。いい人とかは死んで、人の命とを奪う人(しかも反省していない人)が生きてるんだろうってよく思う。今の小学生はゲームのしすぎとかで、『人は死んでも生き返る』って思ってる。その事実を知って「バカだな」っても思うけど、それと同時に「こわい」っても思った。本当に学力低下だって思う。しかも一番大事なことがわかってない。何よりも“生命”が大切なのに・・・。命は一度失ったらもどらないなんて、別に習わなくてもわかるはずのことなはずなのに、って思う。お母さんは、「今はおばあちゃんとかと暮らさないからわかんないのかもね。お葬式とかに出たりしないんだろうね」っていっていた。あーあ、そうなんだろうなって思った。私もそうやって(葬式とか)知ったかもしれない。よくわからんけどね・・・。小さい頃お葬式に出たことがあるけど、、覚えてるのはこわい、変な感じ(ふんいき)って思った。その時はなんだったのかわからなかった。でもあとでわかった。もう少し大きくなってから。たぶんその時「死」というものがわかったと思う。言葉だけで言われてもきっとわからないと思う。だから、そういう体験してほしい(別に死んでほしいわけじゃなくて)おばあちゃんとか知り合いのお葬式には出てほしい。わかってほしい。本当に“命は大事なんだ”っていうのをわかってほしいから。
 誰にも命を奪う権利なんてない。奪わないでほしい。
 誰もが自由に生きれる世界にしたい、なってほしいて、よく思う。

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