<鍋や釜、表札など日常的な言葉を使い、働く女性の生活意識とヒューマンな社会感覚に根ざした作品を発表した詩人の石垣りん(いしがき・りん)さんが26日午前5時35分、東京都世田谷区の病院で死去した。84歳だった。葬儀は故人の遺志で行わず、後日「さよならの会」を開く。事務局は杉並区和泉3の25の1の童話屋。
20年、東京・赤坂生まれ。34年に高等小学校を卒業して日本興業銀行に入り、75年の定年まで勤めた。
戦後は職場の労働組合で文化活動に携わり、組合の壁新聞や機関誌などに精力的に詩を発表して、銀行員詩人と呼ばれた。
59年、第1詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を出版。68年に出した第2詩集「表札など」でH氏賞を受けた。
72年にアンソロジー「石垣りん詩集」で田村俊子賞。79年に「略歴」で地球賞。84年「やさしい言葉」を出した。ほかにエッセー集「ユーモアの鎖国」「夜の太鼓」「詩の中の風景」などがある。00年から02年にかけて絶版だった詩集4冊が相次いで復刊され、詩集としては異例の売れ行きをみせた。教科書にも作品が数多く採用されている。
今年6月から体調不良で入退院を繰り返していた。
(12/26 20:10) >
貧しい仁の履歴の中に石垣りんさんがはいっていない。余生に入って履歴の貧しさを悔やんでも仕方がない。履歴はゼロでもマイナスでも今日一日を豊かにハッピーに生きることもできるんだということを知りたいし、創りだしていきたいと思っている。
『ゼロの豊かさ』なんて詩を創ってみたいものだ。
20年、東京・赤坂生まれ。34年に高等小学校を卒業して日本興業銀行に入り、75年の定年まで勤めた。
戦後は職場の労働組合で文化活動に携わり、組合の壁新聞や機関誌などに精力的に詩を発表して、銀行員詩人と呼ばれた。
59年、第1詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を出版。68年に出した第2詩集「表札など」でH氏賞を受けた。
72年にアンソロジー「石垣りん詩集」で田村俊子賞。79年に「略歴」で地球賞。84年「やさしい言葉」を出した。ほかにエッセー集「ユーモアの鎖国」「夜の太鼓」「詩の中の風景」などがある。00年から02年にかけて絶版だった詩集4冊が相次いで復刊され、詩集としては異例の売れ行きをみせた。教科書にも作品が数多く採用されている。
今年6月から体調不良で入退院を繰り返していた。
(12/26 20:10) >
貧しい仁の履歴の中に石垣りんさんがはいっていない。余生に入って履歴の貧しさを悔やんでも仕方がない。履歴はゼロでもマイナスでも今日一日を豊かにハッピーに生きることもできるんだということを知りたいし、創りだしていきたいと思っている。
『ゼロの豊かさ』なんて詩を創ってみたいものだ。
今日の「おくやみ記事一覧」にこれもあった。兜太さんのお母さんが亡くなられたんですね。兜太さんも「母句」を鉄砲玉のように乱射し続けるのでしょうか・・・。ああこういう追慕の仕方もあるんだと気づかさせてもらえるのを待つことにしよう。
他の人のBLOGとつなげることができるなんて、ちょっとふしぎなかんじがしていますけれど、おもしろいですね。
でも、つないでくれる人は多分ゼロですね。こっちからつないでいっていいのかな・・・。
トラックバックで、つないでくれた人が居る。感激。訪ねたら、おもしろくて、仁の知らないことばかり。そこからまた、別のBLOGへ。これはちょっとはまるかもしれません。
素敵な人たちと出会える楽しみを持てそおです。
なんとか、ついていけそうです。
今後とも、ご指導、賜りますよう
よろしくお願い致します。