逝きし世の面影

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最高検「無実の者を罰しない」嗚呼、哀れ小学生扱い

2011年10月02日 | 社会

証拠改ざん・隠蔽事件などの不祥事を受け、最高検は30日、検察職員が従うべき基本規程『検察の理念』を作成したと発表した。
検察官らの行動基準を記した規程は、これまで国家公務員としての服務規律以外になかった。検事としての使命や役割などを組織内外に示すのが狙い。
規程は基本姿勢をまとめた前文と実務上の指針を示した10項目。
『無実の者を罰しない』、『証拠・情報を適正に管理』など、一連の不祥事を意識した表現が並ぶ。
『検察の在り方検討会議』の提言を受け、江田五月前法相が今年4月、半年以内をめどにこうした規程を制定するよう求めていた。(毎日新聞 2011年9月30日)

『世界一強大な日本の検察権力』

現在の日本国の検察が持っている『力』は先進諸国の中でも断トツで最大最強、ほとんど無限大の『権限』を持っている。
驚くことに欧米の先進諸国(列強)に追いつこうと努力していた大正時代の『戦前の日本国』は欧米の先進的民主主義の人権尊重(司法権などの国家権力の抑制的執行)の観点から、現在の様な検察(行政)が作った『調書』をそのまま裁判(司法)で証拠に採用することは無かった。
日本の検察制度が大きく方向転換して、今のような強権的に検察の圧倒的優位に変えられたのは第二次世界大戦の真っ最中の話である。
日本を破滅に導いた対米戦争の開戦や日本兵に犬死を強いた戦陣訓『生きて虜囚の辱めを受けず』で悪名高い東条英樹陸軍大将が首相だった時に、戦時体制構築の一環(准戒厳令下?)としての治安維持(効率化)目的で検察制度が大きく変えられた。
この時に検察制度だけではなくて、日本の社会全体が強権的に極度に悪化して仕舞い、関係する全員が恐ろしい無権利状態なって仕舞うのです。
投降を認めない戦陣訓を根拠として第二次世界大戦時に日本が組織的に戦争捕虜を虐待して沢山のBC級戦犯を生んでいる。
しかし、この悲劇の僅か二十数年前の第一次世界大戦時では日本は正反対に欧米先進国の司法制度の導入に積極的であり、国際法の遵守を意識していてドイツ軍捕虜に対して人道的に対処していた。年末好例のベートーベンの第九はこれらドイツ兵捕虜の演奏によって始められ我が国に広まったのです。
ところが日本の明治維新以来の方針だった司法権の独立や民主主義の人権尊重の伝統は無残にも投げ捨てられて、東条内閣の『戦争という緊急時に犯罪を犯すとはけしからん。』、『民主的な手続きは時間の浪費である』という理由で検察力が問答無用とばかりに強化された歴史的経緯がある。
この民主主義とは正反対の目的の為には手段を選ばない戦時体制の超効率的な強権的検察制度が、今日まで70年近い長期間改められることなく日本国で綿々と継承されているのですから驚き呆れる話である。
その為に日本の検察が起訴して裁判になった場合の有罪率は99・9%で、こんな高率は世界中で何処にも無い。(無罪判決は宝籤の高額当選者状態)
勿論この驚異的数字は日本国が世界一で、世界に民主主義の問題点を指摘されている中国(2位)でも有罪率はたったの?98%である。(日本で無罪になるのは0・1%で、中国の無罪率2%の数十分の1の物凄さ)
現在、検察が作った調書がそのまま裁判で証拠採用され、しかも起訴権を検察が独占している検察王国は先進国では日本だけの特殊な事例で他国では例が無い。

『最良証拠制』

日本の裁判制度が極めて検察組織に有利に造られていて幾らでも冤罪が生まれる構造になっている最大のものは、検察による『起訴権の独占』や『検察官調書の絶対性』も大きな要因ですが、それ以上に問題なのが世界に例を見ない日本独自の悪しき慣習『最良証拠制』であろう。
この耳慣れない『最良証拠制』とは何か。
捜査段階で集められた膨大な証拠や証言の内で検察官が恣意的に、有罪の為に必要であると考える『最良証拠』だけを裁判所に提出すれば良いのです。
我が日本国だけは、世界中で当然であるとしている常識である裁判で全捜査資料の提出義務が無い。
ポーカーや花札などの賭博で自分の手札を勝負相手に絶対に見せないように、我が日本国の裁判では、検察官は『真実は何か?』との視点ではなくて、裁判での勝ち負けを文字どうり『ゲーム』の如く扱うのですから恐ろしい。
戦陣訓に縛られていた敗戦までの日本兵と同じで、敗北(降服)はどんな場合も許されず厳しく罰せられるので検察官は自分の担当の裁判の無罪を極端に恐れる。
その結果、検察官は裁判に不利な被告の無罪を証明する証拠・証言は意識的に無視ないしは隠蔽して仕舞う。
過去の冤罪事件の発覚は、検察調書に不自然な欠番があり弁護側が追及して証拠を出させて無罪になった例等がある。
共産党員を自民党吉田政権が嵌めた松川事件の諏訪メモのように関係者が存在を知っている無罪の証拠を、検察側が隠蔽し裁判所の開示命令で冤罪が明らかになった等の数々の検察の犯罪的な悪質な不祥事が起きている。
(日本以外の裁判では、当然であるが『有罪の証拠』だけではなくて全ての証拠や証言の開示義務が検察に課せられている)
厚生省官僚村木厚子氏の裁判でも地検特捜部の検事の証拠の改竄は咎められて捜査した主任検察官が逮捕されたが、村木氏の無罪の証拠の存在を知っていた公判部の検事には何のお咎めもないのです。
しかし無実の証拠の存在を知っていながら裁判で有罪を論告した公判部の検事こそ裁かれるべきであると思いませんか。?
証拠を故意に弄って『有罪にしようとした』検事も悪質であるが、より以上に無罪の証拠や証言を意識的に隠して『有罪にしようとした』検事こそ、この事件の主犯です。
ところが日本には検察・警察に証拠の全面開示の義務は無いのですから、この悪質な公判部の検事は決して裁かれることはない。
(報告を受けて証拠改竄を隠蔽した特捜部長と副部長は犯人隠避罪で裁判中だが無罪を主張。この場合には検察官が有罪証拠を捏造したので起訴されたが、何時もの通常の検察官が無罪の証拠を隠しても何の罪にも問われない)
正義は検察・警察の匙加減一つで如何にでもなるのですから恐ろしいですね。
日本では検察官に『神』に匹敵する権限を与えているのです。
普通警察・検察とは『悪い奴を捕まえる』と一般市民には思われているが、日本の検察の実態は『捕まえた者を「悪い奴」にする』のに近いのである。
だから最高検察庁がわざわざ今回『無実の者を罰しない』などと、小学生相手でも恥ずかしい本来言う必要が無い低レベルな注意を、一般市民には到底およびもつかない絶大な権力を持つエリートである検察官に行う異常事態が生まれたのです。

『判検交流でずぶずぶの関係に』

近代民主主義では、裁判で有罪が確定するまでは何人と言えども『推定無罪』の原則があり、証拠隠滅、逃亡の恐れがない場合は原則身柄拘留はできず保釈する事が日本国以外の先進国では決められている。
この『推定無罪』の民主主義の原則ですが、我が日本国は唯一の例外で警察の逮捕時点で『推定有罪』であり、検察の起訴された時点では(無駄を省き効率的に?)ほぼ『有罪の確定』と看做されているのですから恐ろしい。
無罪率が0・1%であれば確率論的に無視しても良い程度の例外なのですから、起訴された段階で有罪と看做すのはある意味当然なのです。
日本でも、起訴された容疑者が罪を認めていれば釈放される可能性があるが、無罪を主張して検察と真正面から争えば絶対に検察が認めないので、自動的に裁判所が釈放を認めない。
いわゆる『人質司法』で、何とも恐ろしい話ですが軽犯罪法など有罪でも罰金が数万円程度の軽微な犯罪容疑でも有罪を認めない場合には数ヶ月間も懲罰的に拘留されるのですから、自分の身が可愛ければ無罪だったとしても争わない方が得になる。
冤罪を主張する容疑者の釈放に異議を唱えるのは検察官の仕事ですが、役職がまったく違うはずの裁判官が丸々検察官役をしているのが、悲しいかな日本の司法の現状なのです。
何故その様な不思議な事が起きるのかの謎は『判検交流』で検察官(行政権)と裁判官(司法権)がずぶずぶの関係で三権分立の機能していないからでしょう。
これは原発村で経済産業省保安院、安全委員会、電力会社、原発メーカー、原子力学者など関係者が出たり入ったり回転ドア状態で、名前が違うがメンバーが同じ過疎地帯の限界集落の催し物(利益共同体)なのと同じである。
裁判官と検察官が同じ司法村の住民で利益共同体として『検察無謬神話』を守っている。
世界に例が無い日本国の野蛮極まる司法制度には、これ以外にも悪名高い『代用監獄』があり、数々の冤罪や拷問の温床となっている。
日本の代用監獄は、事件の被疑者を拘置所ではなく警察の留置場に逮捕一件あたり23日間拘留する制度で逮捕を繰り返せば警察の圧力の下に長期間拘束出来るようになっている。
先進国では民主主義の三権分立原則で、被疑者は警察(行政権)から司法の管理下にある施設(監獄)に速やかに移して拷問や冤罪を防止しているのですが、世界中で日本だけは例外的に『代用監獄』を認めているのです。
日本の99・9%の有罪率の秘密は、『起訴権の独占』、『検察官調書の絶対性』、『最良証拠制』、『人質司法』、『代用監獄』と、世界に例が無い5つの強力無比の無敵の武器を検察制度が持っているのですから当たり前である。
世界の誰も持っていない摩訶不思議な魔法の様な武器を5つも持っている日本の検察は、金棒だけの鬼とか觔斗雲と如意棒の二つの孫悟空の何倍も強いと言えるでしょう。
しかし本当の検察の『力』の源泉は、実は世界的に見て驚異的な信用度のマスコミとの運命共同体状態から生み出される絶大なその『信用力』であろう。
記者クラブとクロスオーナーシップで完全横並びの巨大権力でもあるマスコミを味方にして二人三脚での『検察無謬神話』を日本の市民全員が信じていることが一番大きい決定的な原因なのです。
しかし、日本人が今でも信じている日本社会の安全・安心神話の裏側には、実は深刻な人権侵害(70年続く不思議な戦時体制)という大きな落とし穴も同時に内包していたのです。
これは、みんなが3・11まで信じていた原発安全神話が完璧に正反対であったように、この検察とマスコミの神話も矢張り真っ赤な嘘である可能性の方が遥かに高いのですから恐ろしいですね。

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4 コメント

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司法制度改革の影響? (ましま)
2011-10-02 11:15:47
裁判官については、検察との人事交流をあげられましたが、小沢秘書裁判のように、立法権に携わる政治家の大物の去就を左右するような被疑者扱いを何年にもわたって追求し続けた結果、状況証拠だけで有罪判決をし、国政を左右するような結果を生んだのはなぜでしょうか。

司法の独立に対して、1999年の司法改革(米国の年次報告が動機という人がいる)、裁判員制度、検察審査会などの設置により、状況証拠が「市民の常識・感覚」に沿うものであれは証拠として採用できるという、市民感覚論重視の結果、という論もあります。こういう判例が定着するかどうかが勝負です。マスコミの判決肯定姿勢にそれがにじみ出ています。

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矢張り最大の問題点は憲法9条 (宗純)
2011-10-02 15:43:21
ましまさん、コメント有難うございます。

日本の裁判が何か変であることは全員が気が付いているのですが根は深いですね。
そもそも民主主義の原則の三権分立が日本のような議会が政府を作る議院内閣制では行政府と議会が実質的に一体化して議会のチェック機能が失われ二権分立にしかならない。
唯一独立していて権力の暴走を監視する役目の司法権ですが、今のような行政府の法務省と裁判所の間で行ったり来たりの人事交流があり緊張感はゼロ。
司法の独立どころか、そもそも東大工学部出の原発村の構造と同じで、検事も判事も同じ司法村の仲間であるのですから判検交流で入れ替わっていればずぶずぶの関係になります。
この判検交流については法的根拠とか何かの書面による取り決めなど一切が存在しない、超法規的な日本独特の不思議な制度らしいですよ。
日本のこの不思議なシステムは戦前からで法務官僚だった平沼騏一郎が作り上げたらしいが、今のような本格的に交流が拡大するのは、実は敗戦後なのです。
直接証拠はありませんが、私の考えではこれは憲法9条問題と関係がありそうなのですよ。
政府見解に楯突く裁判官を排除する必要があるのですね。
何しろ小学生高学年か中学生以上の語学力があれば自衛隊が憲法9条違反なのは明らかなのです。
しかし行政府を裁判所が批判したら困る。
自衛隊は違憲とした伊達判決の地裁の裁判官は辞めるまでずっと地方の裁判所の支部や家庭裁判所など、どさまわりをさせる。
そもそも小沢裁判で有れ何であれ、無罪には絶対ならないのですよ。
宝籤を何十万円も買っても高額当選は見込めないのと同じ原理です。
今の裁判官は、法律や憲法の条文ではなくて『上』の判断はどうなるかに関心がある。
裁判官も人の子で官僚として出世したい。
無罪にしたら、もし上級審で逆転されたら経歴に傷がつき出世出来ない。
何しろ日本の有罪率は99・9%なのですから、有罪か無罪か迷った場合には有罪にしておけば確率的に間違いが少ない訳です。
ですから有罪判決は裁判前から既に決まっていたと考えるべきでしょう。
今回の小沢秘書の東京地裁判決と半世紀以上前の東京裁判とには、面白い類似が多いですね。
東条英機が悪いのは誰でもが知っているように、小沢一郎が金に汚い金権政治家であることは誰でもが知っている。
何しろ民主党一の実力者で影響力があるので企業としても利用したい。力の無い政治家には営利企業として金を出しても無駄金になる。実力者の小沢一郎は違法ぎりぎりの汚い金を集めていた。
ただ当時は単なる野党の実力者で、与党だった自民党と民主党は政治献金では数十倍の開きがあるのですね。
今まで半世紀も政権を担ってきた自民党の幹部が大量に訴追されていないと誰が見ても辻褄が合わない。
東京大空襲や広島長崎を無視したり開戦に責任がある海軍を一人だけ処罰して他を見逃したりした東京裁判の不思議な不公正さは、あくまで『証拠で裁く』との司法の根本原則から逸脱した今回の東京地裁裁判と共通する欠陥で実に興味深いですね。
返信する
■■■■に塗り固められた文章 (現田石)
2011-10-12 01:39:54
現田石です。毎日新聞10月7日朝刊10面やホームページに「陸山会事件:小沢元代表初公判 意見陳述(全文)」なる記事が載っています。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111007ddm012010046000c.html
しかし「岩上安身オフィシャルサイト10月6日」
http://iwakamiyasumi.com/archives/12975
と比べると、毎日新聞の記事は「全文」ではなく一種の「抜粋」のようです。つまり私の考えでは、毎日は次のように書くべきです。

陸山会事件:小沢元代表初公判 意見陳述(全文)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■起訴状に対し、■■見解を申し上げます。■■■■■■■■■検察の不当■■■な捜査で得■■た■■調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、■■裁判はただちに打ち切るべきであると思います。百歩譲って■■■続けるにしても、■■罪に問われる理由は、全くありません。■■■■政治資金収支報告書に間違った記載をした事実はなく、■■■■■■■■■■■■■虚偽記載には当たる事実がありません。まして■■■虚偽記載について共謀したことは断じてありません。
■■■■■■■■■■■■■検察■■■は、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、■■憲政史上の一大汚点として■■■残るものであります。■■■■■■■■■■■■■■■
 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■会計責任者が総務省■■■■■■■■■■に■■■■■■■■報告書を訂正するということが大前提であります。贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察■■■が報告の間違いや不適切な記載を■■■捜査する■■■■■■■■■■と、■■■■■■■■■■■■自由な政治活動を阻害する可能性が出てまいります。■■■■■■■■■■■国民の主権を侵害する恐れが■■■■■あります。
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■何百件、何千件と数え切れない■■■報告間違い■■■■■■■があっても実質的犯罪を伴わないものは■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■全て、収支報告書を修正する事で処理されてまいりました。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■唯一、私と私の資金管理団体■■■■■■■■■■だけが■■■■■■■■■■■■■■■■実質的犯罪を犯した■■■証拠は何もないにもかかわらず、東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。■■■■■なぜ私■■■■だけが単純な虚偽記載■■■で、何の説明もなく、突然、■■■■■■■原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。■■■■到底、公正で厳正な法の執行とは言えません。
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■西松事件による強制捜査、■■■■■陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは明らかに常軌を逸していると思います。
■■■■■■■■検察■■■■■■■■■が政治家・小沢一郎個人を標的に行った■■のとしか考えようがありません。■■政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、■■根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家■■■■■では到底許されない暴力行為であります。
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 ■■■■■■■■特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が■■■議会制民主主義を踏みにじり、■■■■■■公然と国民の主権を■■■侵害したことであります。
一昨年の総選挙の直前■■■■根拠もないのに検察■■は■■■■■■■■■国家権力を乱用して、■■■■野党第一党の代表である私を狙っ■■■■■■■■■たのであります。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■とりわけ、2年前の総選挙は■■■■■■■■■■■■■■■■■本格的な政権交代が十分予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない■■■■権力の行使が許される■■■ならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 ■■■戦前、■■官僚、軍部■■■■・警察検察官僚が結託し、■■■マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と■■■敗戦という悲劇でありました。昭和史の教訓を忘れ■■■■■■権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、福島第一原子力発電所の事故は■■■収束への目途すらたたず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている■■■■■■■政治の混迷が深まれば、国民の不安■■■が遠からず爆発して、偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、■■■■■■■■■■■■■日本の将来は暗澹たるものになってしまいます。
 ■■■■悲劇を回避するためには、■■国家権力の乱用を止め、政党政治への■■■信頼を取り戻し、真の■■■■議会制民主主義を確立する以外にはありません。まだ間に合う、私はそう信じます。
 ■■■■■■裁判官のみなさまの見識あるご判断をお願い申し上げ、私の陳述を終わります。ありがとうございました。

自主検閲された一番長い■■部分を文字に復元すると、なんと次の陳述部分です。

実際、外国人特派員協会の会長でもあったオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著『誰が小沢一郎を殺すのか?』で『小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、【人物破壊】は、世界的に類を見ない』と言っています。【人物破壊】とはその人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺アサシネーションであり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。

どうやら日本の新聞社には、外国人特派員協会の会長の著書が目障りのようですね。とても長くなりました。この辺で失礼します。
返信する
崩壊以前のソ連や東欧 (宗純)
2011-10-13 15:21:04
現田石さん、コメント有難うございます。

昔の東欧とソ連では自国のマスコミは情報宣伝機関で有り報道機関ではないことを市民全員が知っていたのですよ。
ですから海外のBBC放送などから情報を仕入れて判断する習慣が染み付いていたらしいのですが、これからの日本の市民の旧ソ連や旧東欧市民の様に外国の報道を仕入れないと日本国内の正しい情報得られないことに段々気が付いてきているらしいですね。
残念なのが共産党機関紙赤旗。昔はこれが正に旧ソ連や東欧のBBC放送と同じ役目を担っていたのですよ。
商業マスコミが絶対に書かない、書けない種類のニュースを紙面に載るので、保守系の政治家でも紙面読みたさに赤旗の読者になっていたらしいですよ。
ところが20年ほど前から記者クラブにも入っていないくせに、記者クラブの新聞社の記事と寸分違わない内容の記事ばかりになっている。栄光の昔を知っている身には涙が出そうですよ。
ただ小沢一郎に関しては、救世主扱いは大間違いで現在の政治の閉塞状態の生みの親(主犯)こそ、誰あろう小沢一郎その人です。
20年ほど前に保守政治が完璧に行き詰ってにっちもさっちもいかない時にインチキ臭い政治改革の小選挙区制や政党助成金、二大政党制と今に続く自公連立の野合などの日本の宿痾の病根が全てが小沢一郎の仕業です。ですから護憲左派が能天気に小沢一郎を持ち上げる様は異様。到底理解できません。
ただ、だからと言ってマスコミや検察などの問題(犯罪行為)が少しも軽くならないのは言うまでも無い話ですね。
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