ようこそ
最近は、諸事情の自己都合退職者があり、現場仕事に追われる日々を過ごしていて、少し余裕がなくブログの更新が疎かになっている。
今日は、豊岡商工会議所の青年部OB会の忘年会が開催されるので、久しぶりに参加する事にした。闘病生活なども有り、少し疎遠になっていたが、久しぶりにメンバーに会う事を楽しみにしている。
当時の青年部のメンバーも廃業など有り、年々懐かしい友人も少なくなってきた。事業を継続していくことの難しさを痛感する。私も他人ごとではなく、「頑張らねば」と思う日々である。
大学を卒業後から41年間、経営職に携わってきたが、他人が思うほど気楽な職業では無い。けっこう孤独で天国と地獄が背中合わせのストレスの溜まる職業だ。
何が幸せで何が不幸かは、人それぞれの価値観や満足度によって、それぞれだが、一瞬にして過去の人生が一変してしまう事も数多く見聞きしてきた。この度の退職者もその一人だが、人生には取り返しの出来る失敗と取り返しの出来ない失敗がある。良く考えて残りの人生の自分自身の舵取りをしたいものである。
私も3年前に第二の人生の選択肢として、今の会社を買収して息子と経営しているのだが、常に順風であった訳ではないが、何とか生き延びている。日々が楽しく過ごせるように願うばかりであるが、勤勉努力は欠かせない。最近は、日産自動車の最高責任者のゴーン氏の話題で持ち切りだ。擁護する気持ちは無いが、当時瀕死の状態の日産自動車を救って立て直したのは、誰でもない彼の経営手腕である。リストラなど恨みつらみの有る中で、孤独と非難に耐え忍び再建した手腕は見事であったが、今回の事件で一瞬にして奈落の底に落ちてしまった。韓国の前大統領も同じだが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはよく言ったものである。
私の会社は昼食の給食弁当の宅配事業を行っている関係で、高齢者の自宅にも数多く配達しているので、家庭の事情もよく分かる。豊岡市の「高齢者見守り隊」のメンバーにも指定されているのだが、本当に家庭それぞれの事情がある。
国家予算も社会福祉など高齢化社会に対応すべく、年々増加している。これらにお世話になっている私が言うのもおこがましいが、医療技術や環境の整備などにより、平均寿命は年々伸び続けている。昭和40年代に誰がこのような社会を予想したであろう平均寿命が延びる事は素晴らしい事ではあるが、問題は楽しみや喜びのある「生きがいの持てる人生」で有るかどうかである。
私は、妻の母親(義母)を迎え入れ同居しているが、もうすぐ86歳になる。とても元気で痴呆も見られずに一人で何でも出来る。新聞も読むしテレビも好きで、お風呂は友人と待ち合わせて、城崎温泉の外湯に毎日出かけるが、彼女の日々を見ていて本当に幸せなのだろうかと思う事もある。死や墓の話も良くするが、やはり自分自身の死は気になるようだ。
日本人は、人間性なのか文化なのか「お金」と「死」の話はタブー視している所が有る。良い事であると思うが、本当はそこが一番大切な部分である。本当は、お金によって大部分の事は解消される。余命宣告を受けた患者でも「大丈夫ですよ」と励ます。私も闘病生活で体験したが、自分の身体は自分が一番よく理解している。上っ面の励ましは負担であり迷惑だ。「お金」も「死」も寄り添う事の大切さを闘病生活で学んだ。中々当事者の思いになる事は難しいが、大切な事であろう。心したいと思っているが、私も当事者である。常に再発や転移の事は、日々忘れる事は無いが、お陰様で私には仕事が有るので、意欲も十分にある。この前誕生した二人の孫も順調に成長し、抱っこしても重たくなっている。私には、定年退職もないので、こんな日々が続いてくれる事を願うばかりである。
では又ね
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