ようこそ
人生も会社も政治の世界も、生きて活動していると色々と波乱万丈が起きる。
私の人生も、過去には一度の入院も手術も無く、大病とは無縁であったが、還暦には3か所にガンを患い入退院を繰り返した。もうすぐ5年が経とうとしているが、4度の手術と12回の抗がん剤治療を受け、生死をさまよう時間を過ごした。今でも、再発や転移の検査の為の定期検診が続く。最初で最後にしてもらいたいと願っているが、こればかりは分からないが、今は昔ほどの無理はきかないが、後遺症は残ったものの普段の生活には、支障をきたすことは無い。但し、自分で健常者でない事を自覚して理解しての事だが・・・・
また、私の会社の母体は債務超過を起こし、倒産しかけた会社だが、その後に1社、そしてこの度、もう1社を買収して、蘇った。この10年間は安定た経営状態にあったが、昨年からのコロナで業績は悪化し、この度の買収へと繋がった。一度は死んだ会社が3社集まって、協力し合いながら取り組んでいる。こちらも一応の治療は終了し、今後は定期検診を施しながら、安定的に健全経営となるようになればと願っている。
一方では、昨日に菅総理が、日本国の総理大臣の職にピリオドを打った。政治の事は、私にはよく分からないが、想像しても高齢化社会に突入して、出生が減少すれば当然に人口減少が発生して、労働人口は減少する。納税は少なくなるし、社会保障費は増え続ける。また、コロナの問題、中国などの外交問題、おまけにオリンピックやパラリンピックなどの不運も重なった。人生には運、不運は付き物だが、特にコロナ問題は不運であったと思われる。
確かに総理の記者会見など不評であるが、活舌も悪いが秋田弁(東北弁)のなまりもあり、聞き取り辛いが、生まれ持った方言である。私も但馬弁と言う方言で話すが、学生時代には少し恥ずかしい思いも体験したので、それなりには理解しているつもりだ。1回生の頃に学生寮で生活していて、一番最初に友達になった寮の同級生は、一人は熊本市、もう一人は仙台市、そして私が当時で言えば城崎郡城崎町。当然、私が人口で言えば、一番の田舎者である。ある時、3人で初めて居酒屋に行った。寮は男子寮で全室3帖の個室で、門限はないので自由だ。未成年なので本来は酒はダメであるが、時間共に親しさが増し、お互いが方言で話すようになった。東北弁に熊本弁、但馬弁である。翌朝、昨日の会話の話をしたが、3人ともに方言が分からなかったと言う逸話がある。
私は方言が好きだ。大阪にある大学であったが、さすがに東京人は東京弁で貫き通す。東京からすれば、大阪は田舎者と言うイメージだ。結局、私は但馬弁を貫き通したが、そんな苦い話を体験した。
東北弁の何が悪い訳の分からないカタカナや横文字の方が、よほど分かりずらい地方創生、菅総理には東北弁でハッキリと記者会見をしていただきたかった。大阪弁も名古屋弁も東京以外は、方言の田舎者である。それを突っ込まれて委縮していては・・・・東京も田舎者が地方を捨てて、出てきただけの事である。3代遡れば、皆、田舎者だ。
いらぬ事まで書いてしまったが、そんな思いで今後の総理大臣に期待をしたいと思う。頑張れ頑張れ
人生も会社も政治も活動していれば、何が起こっても不思議ではない。皆様、お大事に
では又ね
↓ランキング
私は東大阪の河内弁に対抗して但馬弁で戦ったが・・
浸透はしなかった!
「あはあたれ」「おめえはあはあか」4年間連発したが・・・勝てなかったが負けはしない!