第19章
兵庫医大、半年目の検査
5月24日には、兵庫医科大学病院で術後の半年目の精密検査が予定されている。何としても「お墨付きの太鼓判」をもう一度聞きたいとの思いで、辛い抗がん剤治療にも耐えてきた。
本当は、残りの後2回の抗がん剤治療を受け、万全の状態で検診に臨みたかったのが本音であるが、体が悲鳴を上げている以上は残念ではあるが仕方がない。
それと言うのも、兵庫医科大学病院の過去の「悪性中皮腫」の手術データーを見ると、手術可能な患者が30%で、実際に手術を行ったのは20%、手術を行った患者の標準治療手術でも、3年の生存率は50%で、5年の生存率になると極めて少ないと言うデーターが残っている為であるが、兵庫医科大学病院の長谷川教授の高度な治療技術により、今では後進に道は譲ったが、元気に会社復帰させていただいている。
「兵庫医科大学病院」
明日の事でも興味が無かった私だが、この度、地元の悲願でもあった豊岡自動車道が日高、神鍋インターまで開通した。5月の兵庫医科大学病院への受診は、是非この真新しい高速道路を使って行きたいと楽しみにしている。
「北近畿豊岡自動車道」
そして迎えた5月24日。何時もは家内と二人で、軽自動車を交互に運転して行くのだが、今日は長男が兵庫医科大学まで、送迎をしてくれると言うので、甘えることにした。
会社では何時も顔を合わせ、自宅もお互い隣同士なのだが、この日は、余り口には出さないが、兵庫医科大学病院での術後半年目の検査結果と言う事も有り、何時になく心配していてくれたに違いない。
不器用で頑固者だが、少しこの日は嬉しくも頼もしく思った。
長男は小さい子供が二人居る関係で、大型のワンボックスカーに乗っている。早速に家内と二人で乗せてもらうが、なかなか快適な乗り心地だ。佐川急便での8年間の経験からか、安心して乗せてもらう事が出来た。昼食を取ながら13時に到着。
早速、血液採取、肺呼吸の検査、CT検査などを受けて、いよいよ15時30分より、長谷川先生による診断が始まった。事前に質問したい事を箇条書きにしたメモも持参し、家内と二人で緊張しながら報告を待った。結果は、「術後の経過は順調で、今後は特に治療は有りません。3か月ごとに経過を見ていきましょう」との事であった。
持参した質問のメモを取だし、最後に発見時のステージと余命の事を思い切って尋ねてみた。「発見時のステージは初期段階で、今は余命を考える段階には有りませんが、医療に絶対は有りませんので、あくまで今現在は」との事で、2年2か月に渡る闘病生活も大きな山場を越え、三人で喜びを分かち合い、兵庫医科大学病院の長谷川先生に感謝しながら家路を急いだ。
誰しも明日の事は分からないが、心して少しでも心穏やかな生活を送りたいものである。
そして、お蔭様で「株式会社ほーゆー本店」も過去には大病を患ったが、私の闘病生活も3年目を迎えるのと同じくして独立3年目を迎え、今では社長、店長を中心に社員の皆様の努力により、順調に業績を伸ばし見事に再建を果たした。今後は私共々「全快」と行きたいものである。
もう、私は同年代の人の様な普通の生活には戻れないが、「感謝の肩たたき」も8年目を迎え、愛情と感謝を込めて、今日も楽しい会話をリズムに乗せて「タントン、タントン、タントントン」と元気に生き延びている。
第20章
峠を越えて思う事
こうして、2年2か月のガンの闘病生活も峠を越え、今振り返って思う事は、生きて居るからこそ自分自身の記念紙としてこの冊子を書こうと思ったが、そうでなければ書く事は無かったであろうし書く事も出来ない。
重篤な患者に成って初めて分かった事もある。色々な場面で、医師や看護師から提案や説明を受けて、選択を迫られる。それ以前に、どこの病院を選択するかも自己責任である。パソコンのボードも穴があくくらいに研究をしたつもりだが、その知識は医師の技量や知識、経験に適うはずも無く、「先生にお任せします」と言う患者が多くいる。
上手く成功すれば自分の手柄であり、失敗すれば病院や医師を避難する人が少なからず居るが、私は医療に絶対が無い事も理解している。
運、不運も当然あると思うが、冒頭にも書いたように、人生は選択と運である。
付け加えるならば研究と努力であり、人間ほとんどの事は自己責任で生きて居る。
私は、膀胱ガン、前立腺ガン、悪性中皮腫と3つのガンを患ったが、選択と運が味方してくれ、的確な判断で早期発見につながった田中クリニックの田中先生、優秀な技能と経験により早期の的確な治療に当たって頂いた、豊岡病院の白波瀬先生、平野先生、阪森先生、三好先生、そして兵庫医科大学病院の長谷川先生、昼夜を問わず親身になって献身的に看護してくれた看護師の皆様、検査データーを作成して頂いた技師の皆様に感謝している。
入院をして初めて、医師や看護師、職員の皆様の大変さも理解出来た。主治医の先生も看護師の皆さんも、「一体、何時休んでいるのだろうか?」と思える程の激務だと痛感した。
「大病を患って良かった」と言う人もいるが、生きて居るから言える事で、私のこの病は、亡くなる方の方が圧倒的に多く、生きて居られるのが不思議なくらいの大病である。
確かに人への感謝を理解する上では、良い体験かも知れないが、ガンを決して美化してはならない。早期発見と早期治療である。
死を意識する位のガンを患うと、「どうでもよい」と思える事がものすごく増える。むしろほとんどの事が「どうでもよい」心境になる。
今の事しか興味が無くなる事も体験した。
明日の事は「どうでもよい」のである。こうして生かされていると、「何もない日」へのありがたさに感謝をする。
特に家内への感謝の思いは以前に比べ3倍に、不平不満は3割へと変わって行った。
そのくらい人間とは勝手な生き物で、夫婦一緒に二人で居るからこそ、喜びは2倍に悲しみは半分になるのである。
今後も検査は続くが「株式会社ほーゆー本店」を通して、少しでも地域社会に貢献できればと願う日々である。
最後に御礼
こうして生きて居られるのも、この二年間に治療に当たって頂いた田中クリニックの田中先生、豊岡病院の白波瀬先生、心臓血管外科の平野先生、呼吸器内科の阪森先生、総合診療科の三好先生、兵庫医科大学病院の長谷川教授、京都ルネス病院のレントゲン技師、そして、日々お世話をして頂いた多くの看護師、レントゲン技師、血液検査、尿検査の技師その他多くの病院職員の皆様のお陰と感謝申し上げます。「水魚の交わり」と申します。今後とも宜しくお願いします。
また、家族や親戚を始め多くの同級生、会社関係の皆様、町内会の皆様、所属団体の皆様、何度となく励まし寄り添っていただき、本当にありがとうございます。重ねて御礼と感謝を申し上げます。
快気とまではいきませんが、今日も元気いっぱいに過ごしています。病院では無く、また違った場所、場面でお会いし、私のカラオケ十八番「高校三年生」と「兄弟船」「ああ上野駅」をお聞かせし、失笑して頂ける事を楽しみにしています。
ありがとうございました。
平成29年5月吉日 伊藤修生
孫たちの思い出写真集
最後までご覧いただきありがとうございました。
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