(´・ω・`)ショボーン

いろいろと…

地球外生命体とのコンタクト

2011-06-29 | Other
地球外生命体とコンタクトをとろうと特殊な電波を飛ばしたり、ロケットに簡単な人間の絵を描いたプレートを載せて飛ばしたりしているが、それはある意味、危険な行為なのではないか?と私は思うのだ。

ふと、こう思ったのだ。 地球外生命体から何かしらのコンタクトがあったとして、果たして、向こう側は地球人に対して友好的であるのだろうか? 地球の領土を奪おうとか、人間を捕食する為に侵略してこないと誰が断定できるのだろうか? やたらに未知のモノと関わろうとする行為は危険きわまりない事であり、今すぐにでも止めるべきである。

地球内であっても動物は互いに殺し合い食い合い、人間も領土や資源を欲しいが為に人間同士で殺し合っているというのに、誰が地球外生命体が安全であると言えるのだろうか…。

また、もし『コンタクトがとれた』という事であれば、向こう側は相当な技術を持っていると言うことであり、地球人よりも優れているかもしれない。 そんな相手にどうして地球人が敵うのだろうか。 「侵略しにきてくださ~い」と言ってるようなものではないか。

この宇宙で地球人は宇宙の存在を知り、その宇宙へ飛び出している。 こんなにも高度な知能や文明を持っている私たちが存在するのだから、広い宇宙で他にも私たちのような生物が存在する可能性はあると思う。 そんなロマンを追い求めるのは素敵だとは思うが、危険なことでもあると言うことを学者達には理解してもらいたい。

漫画のような世界は時に『リアルになり得る』のだと言うことも理解しておいた方が良いだろう。

東電社長に『土下座して謝れ!』

2011-05-04 | Other
なんか虚しいですね…。 東電が管理している人的被害をもたらす危険な物を天災で壊されてしまい、後々の子孫に至るまで後遺症が出るかもしれない放射能の危険にさらされた住民の怒り。 農家や漁業関係者は収入に関して大打撃で明日からどう生活していけばよいのか解らない状態。 その他諸々の怒りが東電に向けられている。

私は思うのです。 東電は放射能の危険性を十分に理解していなかった、若しくは、軽んじていたのではないだろうか? 海外で起こった過去の原発事故から何も学ばなかったのだろうか? 原子力発電所の設備は人が作るものである以上、絶対はあり得ないわけだが、危険性を考えれば絶対に限りなく近くなくてはならないのです。 はたして日本の原発は限りなく絶対に近かったのでしょうか。 私は、明らかに東電のミスだと思います。 過去に10mを超える大津波が日本国の何処かにきていた歴史もあり、そういう事を理解していれば、どのくらいの被害をもたらすか?の予測は今の日本の技術なら100%可能です。 津波でどのくらいの圧力が原発の建物にかかるか?そんなことも解らなかったのでしょうか?

静岡の浜岡原子力発電所は日本国内でも地震に対して他の原発を凌駕する耐久性を誇るそうです。 ただ、そんな過信が今回のような取り返しのつかない事態に繋がるのです。 過信せず絶対により近づけること。 必要以上という言葉を使って欲しい。 電力会社には『必要以上』を『無駄な経費』と勘違いしないで欲しい。 これが肝心なのです。

土下座させたからどうなるわけでもないですが、住民はどんどん怒りなさい。 怒り疲れるくらいに怒りなさい。 貴方たちの暮らしができるだけ元の状態に近づけられるよう、国や東電に時間をかけても何とかして頂くのです。 怒り続けることで、いずれ心は『責めること』から『頼ること』に転じる時がやってくるでしょう。 それが自分自身の中の神仏にすがると言うことなのです。 だれでも良いから助けて欲しい…と、心の中で叫び続けるようになります。 貴方たちには同じ国土で育った日本国民が常に傍にいます。 何も心配することはありません。 今、CMのキャッチコピーでも盛んにみかけますよね。 『日本は1つ』なのです。

東電の方々には真摯に住民の怒りを受け止めて欲しい。 ただし、それを苦に自殺するなどはしないで欲しいとも思います。 貴方たちが日本の国を豊かにと、国民の皆の生活を豊にと願い電気を供給し続けてきた貢献は計り知れないのです。 住民の罵倒は『何とかして欲しい』という心の叫びの現れなのです。 その真意を受け止めるのです。 さすれば、心は和らぎ、心の底から何とかしてあげたいという気持ちに昇華します。 表面だけを捉えては自分の心が苛まれてしまいますから、住民の皆の真意を…どうか察してあげて下さい。 『責任をとる』という事は、『住民の心の声に応えること』と受け止めなさい。 つまり住民に希望を託されているのですから、これから誠意を持って住民のために自らの心も尽くすのです。

坊主は地獄に堕ちる

2011-04-20 | Other
坊さんは衆生を救う為、即身仏や即身成仏という荒行をされる。 私は思うのだ。 即身仏とは、自らの命を絶つ行為であり、それは決して仏に許されるものではない。 この世に生まれ落ちてより天寿を全うするまでが自然の理なのである。 しかし、自身の命を自身で決めるこの行為は自然の理に反し、人の『傲り』である。

しかし、わたしはこうも思うのだ。 傲るのは人の性。 その罪は真摯に受け止め、自らの命を絶つ事で『自ら地獄に堕ちよう』という行為が、即ち『即身仏』になる事なのであると。 そして、地獄に堕ちた後にも、地獄で苦しむ者達に救いの手を差し伸べるのだろう。 地獄に堕ちたら永遠に苦しみ続けなければならないのだろうか? 永遠に極楽浄土へと後生することはないのだろうか? 昔の坊主はそう考えて『即身仏』なる荒行をしたのだろう。 現在の坊主達はそれを理解し、昔の大僧正の考えを知るべきだと私は思う。 無知である事は人の性。 それに気づくことで新たな未知が切り開かれる。 『即身仏』は衆生も救い、地獄に落ちた者達も救う。 それが真の『即身仏』の意味である。

酒井雄哉殿の荒行は衆生を救うでしょう。 しかし、地獄に落ちた者達を救う事はできない。 いかにして地獄の亡者を救うか? 即身仏ではなくとも、また新たなる未知を切り開かれていかれることを…。

宗教は神への冒涜である

2011-04-14 | Other
『神』とは人それぞれの心の中に存在する。 その形は様々であり一箇として同じではない。 それを知らずして神の存在を語る偽りを教え広める宗教は、その存在自体が『神』への最大の冒涜であると悟りなさい。

この世の宗教は全て、仏教にしてもキリスト教にしても、その他様々な『宗教』と名のつく物は、ある一箇の人の神の姿であり、また、それは他人では全く意味のない神である。 それを信奉することなど自分自身の『神』への冒涜であり、まさに地獄に堕ちるだろう。 それを人々は知らなければ、心に平穏はない。

まやかしの心の平穏に安堵せず、自分自身の『神』を信じること。

それが、本来の『万物の理』である。


『天上天下 唯我独尊』

皆、この意味をきちんと理解しているならば、宗教などと言う団体は築かれないはずなのだが…。 人の弱さが小鳥の群れのような団体を作り上げているならば、それは本来の人間の弱さであり自然なことである。 しかし、それを克服したいと願い、心の平穏を願うならば群れていては悟りは開けないのです。

この世に一人として同じ人は存在しません。 皆が個性があり、人それぞれに悩みがあり、この憂き世を生きています。 心は弱くて良いのです。 皆が弱く、どんなエライ人であってもお金持ちであっても最高権力をもつ者でも、誰一人として心の強い者などいないのですから。 人は弱い。 ただそれだけが真実です。

その弱さを知り、そこから新たな芽を育むのです。 己の弱さを知る者こそ、既に真に強い心を持つ糧を得ているのですから。


『怒り・憎しみ・妬み・悲しみ』

そのどれもが人を懊悩させる。 一生、楽しく笑って生きていきたいと願う気持ちは誰の心にもある。 しかし、その4つの感情は現れる。

私はこう思うのです。

どんどん怒りなさい。
どんどん憎みなさい。
どんどん妬みなさい。
どんどん悲しみなさい。 と…。

愚かなる感情は隠せる物ではない。 また、消え去る物でもないのです。 『悪い気』は溜め込まずに吐き出し続けること。 己の器量を知りなさい。 溜め込みすぎて器量を超えて溢れだした『悪い気』はどこに行くのでしょう?

貴方の器を破壊しかねない状況にしないこと。 これが肝心なのです。 普段から、どんな些細なことでも良い。 負の感情はどんどん小まめに吐き出すことです。


最後に、宗教団体のトップとでも言いましょうか、『教えを広める者』に対して箴言があります。


「人として…傲りは己を苦しめる事になりましょう。
 神の代弁など各神への冒涜を神は決してお許しにはなりません。

 無に帰す前に…過ちを正すことで、
 貴方たちの教えは真に人々の心を救うでしょう」

地震を余所に世界は回る

2011-03-13 | Other
太平洋側は地震によりあちこち甚大な被害が出ている。 しかし、私は思うのです。 いくら多数の負傷者や死者が出ようとも依然世界は回っているのだと…。 自分の身にならなければ人は分かり得ないのだと言うことを。 今まででも凄惨な天災に見舞われてきた。 だが、その予期し得ない被害に関しては人の憶測することもかなわぬ未知の領域である。 今でも懸命に行方不明者の救助活動や被災者への援助活動が行われている。 家族と離ればなれになってしまい行方も知れず泣く人の姿をテレビで観ては、その都度心が痛むのだろう。 それが人の情であると私は知っている。

自分自身が生きるために人は地震を余所に仕事を続けるのだ。 泣き叫ぶ人の姿を見ても何も感じる事もなく、ただ自分自身の為だけに見向きもしないのだ。 それが人の醜さであることも私は知っている。

彼の地で起こる様々な出来事は全く無関係なことであると。 そうして明日をも知れぬ我が身を余所に興味深げにテレビを見つめる人々の憐れなこと。 そうすることしかできぬと自分自身を納得させるだけの木偶。 人は斯くも正直であり、それ故に正直なのである。


閑話休題。

未だ余震が続く中、皆、不安と緊張を解くことができずにいます。 震源地が近いことから宮城県や福島県は一番惨状であると。 一人でも多くの人達が助かって欲しいです。 家族の安否が不明という方の心労は如何ばかりか…眠ることもままならない状況。 あれだけの家屋の損壊と津波による被害の中、波にさらわれた人達も数多く。

憎きは天災。 自然の恩恵を受けて生活できているわけですが、その自然が牙をむいたときには人の力では、それを止める手立ては今のところはない。 しかし、将来に同じ惨事が起こらないように、自然を完全に人間の手によって支配する必要があります。 敵は地球です。 壮大な戦争になりますが、地球を中心まで支配しなければ永遠に惨事を防ぐことはかなわないでしょう。

けいおん!!

2011-03-02 | Anime
最近、『けいおん』ブームに拍車がかかっているようで、ハルヒとかもうどうでもいいょ的な人達が多くなっているそうだ。 オタクは移り気が早いもので、グッズ集めるにも金がかかることから、新たな女神を見つけると古い女は捨てるというリアル残酷な天使のテーゼが繰り広げられている。

人気に便乗して『けいおん』を見てみた。 なんか女子高生の日常を垣間見るドキドキ感がある。 キャラ達の言葉遣いとか妙にガキっぽぃ行動が親近感をわかせるのだろう。 普通に面白いと感じる。 主人公の平沢唯の性格も、ほんわかとしていてるようでなかなか濃いキャラだ。 ただ、ある人から見ると『知的障害者』と思われそうな言動もなかなか興味深い。 リアルでは絶対にあり得ない性格だけに、そこにオタクは神を見るのだろう。

アニメに屈託がないので、どんなジャンルでも一通りは見てみようと思っている。 なかなか人それぞれの事もあり、1、2話で見るのを止める物もある。 つまり、私にとって「面白くない」と感じる物。 『けいおん!!』に関しては最後まで見ようと思えるアニメだ。

「ゆとり世代」は親の代から

2011-02-15 | Other
現代の10~20代前半の若者達のことを「ゆとり世代」との発言がみられる。 しかし、「ゆとり世代」とはその親たちの世代が既に「ゆとり世代」である事に誰も気づいていないのではないだろうか? ニュースで「ゆとり世代」について話されるときには、若者達のことしか差していない。

戦後の荒廃した日本を高度経済成長時代に至るまで発展させてきた団塊の世代。 その団塊の世代が築き上げた豊かな日本で何の苦労もなく育ったベビーブーム世代が、まさに「ゆとり世代」なのです。 その、ゆとりの中で育った今の50代の人達の子供がまさに今の若者達ですから、ゆとりで育てられた人間の子供がゆとりに育たないわけないでしょう!!! ゆとり世代の50代の人間は昭和の一番景気の良かった時代をサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!と闊歩していたのですから、何を苦労の一つもしていないではないですか。 団塊の世代である自分達の親の背中を見て育ってきたはずなのに、それを何一つ糧としていない。 糧としないから、バブル崩壊になったのです。 糧としているならば、自分達の子供がなぜ「ゆとり世代」と呼ばれているのか? その事実を真摯に受け止めなければならないのです。

まさに政治家達も「ゆとり世代」の集まりではないですか。 日本の負債は900兆円超と日に日に増しています。 自分達のまいた種を10~20代の若者達に枷をはめる真似は言語道断!!! 良い時代を謳歌しまくり欲に目がくらんで日本をバブル崩壊に陥れたその罪は許すまじき悪行。 私は関係ないなどと責任逃れをするならば悪辣無比です。 「未来の子供達のために…」などとお為ごかしは見透かされています。 日に日に増える国民一人当たりの負債額をみれば、言っていることとやっていることが矛盾していて滑稽きわまりない。 能のない鷹は墜ちるのみ。 世代交代の時期がやってきたのではないでしょうか。 遊びしか知らない「ゆとり」のベビーブーム世代の人間に政治など行わせても全く意味がないのですから。 若者達は現実を冷静に見ており、無難な行動しかできないチャレンジ精神無き者達が多くなってしまった…。 日本の技術が発展しない要因がここにあるのです。

景気は良くなる。 それは能のある者達とチャレンジ精神旺盛な団塊世代のような者達がいてこそ為し得ることなのです。

涙袋

2011-02-12 | Other
目の下に涙袋があると優しそうな印象や可愛らしい印象に見えると言われていますが、私はそうは思いません。 目の下がぼこっと出ているのは、あまり印象が良くないです。 先天的な物であるなら仕方ないとしても、わざわざ可愛らしくなりたいからと涙袋を作る手術を受ける女性がいます。

人相学で言うと、涙袋がある人は異性から好かれる傾向にあるそうです。 決して悪い相ではないとの事ですが、これは大きな間違いです。 人相学を否定はしません。 ただ、それは加齢と共に変化するのです。

年をとると肌に張りが無くなり、顔全体が垂れ下がってきます。 その時に涙袋がある人は目の下に大きな半円のシワが浮き彫りになり袋が垂れ下がり、無い人と比べると目立ってしまうのです。 そうなると、欲深そうで陰険な感じになります。 若い内は涙袋にも張りがありぷくっとしていますが、年をとるにつれて見栄えが悪くなってくるので、40過ぎたら毎日の美顔ローラーでのお手入れは欠かせません。

トイレの神様

2011-02-08 | Other
これって、家族の大切さを伝えたいのかなと感じます。 この歌詞を聴いて、この女の人に激しい憤りを感じたり、呆れたりする人はたくさんいると思います。 でも、若いときは誰でも家族で喧嘩したり言い争いくらいはするでしょう。 それは必然であって、それがまた良い思い出になったりもするんです。 当時は、悪いことをしたとは思っていても、なかなか「ごめんなさい」という一言は言えないものです。 それは何歳になっても、今でも同じではないでしょうか。 生活している内に自然にまた普通に話せるようになる。 時間が解決してくれるんです。 ただ、それは『家族だから』できることなんですよね。

最後の方で、「良い孫じゃなかったのに」とか「恩返しもしてないのに」とか、ここに涙する人が多いのではないでしょうか。 もし涙するなら、自覚していなくても貴方の心の中に家族に対する大切な思いがあるからなんですよ。 別に家族が生きている間に恩返しをしなくても良いんです。 先人は子孫の貴方が今を、そしてこれからも幸せでいてくれるだけで、既にそれが恩返しになっているのですから。 子供や孫の幸せを願わないで育ててくれるなんてことはないです。 育ててくれたって事は、それは貴方に幸せになって欲しいと願っているからなんです。 だから、貴方は育ててくれた両親や祖父母のために、今も、これからも幸せに生きていって欲しい…。

サマーウォーズ

2011-01-29 | Other
一昨年、上映されたアニメ映画ですね。 ビデオで観ました。 なんか氷室冴子さんの『海がきこえる』アニメーション版に似た感じというのが、多くの人達に人気を博した理由の1つと思いました。 ウブな男子が主人公というのも草食系男子にとっては感情移入できる要因です。 こういう恋がしてみたい…そんな草食系男子達の思いが聞こえてきます。

それとは別に、多くの人の命がかかっているとかいう内容は突飛だなと感じますが、細かいことを気にしなくても一個の作品として面白いと感じます。

仮想世界が普及し、あまりにそれに頼りすぎると、このような弊害も起こってくるのだろうなぁと。 セキュリティーとは人が作り出した物であり、また人が作り出した物は人の手により壊すことができるのです。

この作品で感じたことでまだあります。 たぶん、そういう事がメインであると思いますが、家族や人と人との絆の大切さ…。 自分一人で生きているのではなく、人間は個々に弱い生き物であり、誰かに助けられ、また自分も誰かを助けて生きていけるのだと言うこと。 それを戦国時代の武家の世界になぞらえて、現代社会の核家族の問題に関係されます。 少子化でそういうご時世ですから、作中でインターネットでのコミュニティーを取り入れ、実の家族だけでなく他人でも心を通じ合えば家族と等しく良い関係が築けるのだと。

それ以外にも、まだ伝えたいことが作中に盛り込まれています。 おばあちゃんが亡くなったところで赤ちゃんが泣き出し母親がおっぱいをあげているシーン。 あれは一個の命が亡くなったが、しかし新たな命が産まれている。 故人を悲しむのではなく、故人が育んでくれた自分の命を大切に今を一生懸命に生きて、そして新しい命を産み育てていくことの大切であること。 命の輪廻ですね。 こんな感じで、他にも伝えたいことが色々とあるのです。

色々な内容が盛り込まれているため、観る人にとって何かしら共感できる・感情移入できる物が見つかるのだと思います。

通訳士廃業

2011-01-29 | Other
携帯端末がめざましい発展をしてきている昨今。 機械で自動的に多言語を翻訳できる機能が普及してくれば、もはや通訳士は必要ないでしょう。 相手が話す言葉が、そのまま自分の母国語に翻訳され音声で聞ける。 それほど未来の世界では通訳の資格は全く意味のない物になってしまうのです。 技術革新は日進月歩。 世の中が便利になっていくにつれて、また廃業に追い込まれる者達も少なからず増えてゆくのです…。 つまり仕事とは普遍的な物ではなく、有限の物であるという認識をもち、便利という事に対してどこまでの追求をすればよいか?も考え直さなければならないのです。

アウトレイジ

2011-01-06 | Movie
ヤクザ映画ですね。 ヤクザの世界の上下関係の厳しさは命のやり取りにまで発展するのですねぇ。 兄弟とか杯を酌み交わすとか言われてましたが、血が繋がっていなくても兄弟になる。 ただそれは形だけであって、そこに真の信頼関係という物はなく、裏切りは当然にある。 それは、一般社会の親子供・兄弟でも同じであり、親が子供を殺したとかいうニュースはよく見かけます。 つまり、カタギの世界でもヤクザの世界でもそれは変わらず同じ事であるというのも伝えたいのではないかと思います。

そんな世界でも救いはあるのではないか? 昔気質のヤクザというものは古臭い物ではなく、現代でも存在するのではないだろうか? そんなヤクザ世界に対しての疑問が投げかけられている気がします。 殺戮と暴力の蔓延る世界でも救いがなければ、それは哀しいことです。

今は金よりも出世の時代だというのはヤクザの世界でも同じ事です。 昔の言葉で言えば下克上というものが当然のごとく人の欲を駆り立てる。 ヤクザ世界は異質な世界ではなく一般社会でも同じ事。

貴方たちもヤクザも皆、本質は同じなんですよ。
なぜなら同じ人なのだから。

そう、たけし監督は伝えたいのではないでしょうか。

蝋人形の館

2011-01-04 | Movie
若干、ネタバレです。

Gyaoで放送されている『蝋人形の館』を観ました。 パリス・ヒルトンがホラーに出演していたのは驚きです。 感想は……ちょー気持ち悪くて、見終わった後も後味が悪いです。

何が気持ち悪かったって、人を生きたまま蝋付けにして動けなくするという発想がキチガイです。 生きたまま身体中に熱された蝋をかけられて全身ヤケドにより蝋を剥がすと皮膚が剥がれて肉が……もう、ゲロゲロですよ。

胸くそ悪くなったのは、蝋付けにされた人間は再起不能と言うことです。 一度、ああされてしまうと、もう元には戻れないもどかしさが何とも言えない。 助かっても全身の皮膚移植になる。 中途半端に内容がリアルなだけに気持ち悪さはハンパ無い。 まだ身体中を切り刻まれて血がドバドバで死ぬホラーの方がマシ。

ホラーでよくある設定なのだけど、兄弟が殺人鬼という設定。 なんで、そういう設定のホラー多すぎるんだろう? 最後に助かった兄妹が去っていく途中で、殺人鬼の兄弟である3人目が手を振っていた光景。 1970年代の回想シーンでは3人目は映っていなかったのに、なぜ最後に兄弟は3人だったなんて訳の分からない設定を組み込んで終わりにするのだろうか。 だからといって、その後の展開も想像できない。 正直、「はぁ、そうだったんですか…で?」という感じで呆気にとられた。

ただ、B級ホラー臭さがあり、ただ殺すという事ではなく、生きたままというところに妙なリアリティを追求した作品だと思う。

オタクは文化

2010-12-10 | Other
石田純一により『不倫は文化』と言われたが、オタクもまた文化なのである。 オタクは辞典で『趣味的な世界にひたすら没頭する閉鎖的な人』と定義づけられている。 閉鎖的な人……閉鎖的な人…………閉鎖的な…………………。




ざけんなやぁあああああ!!!!!

ごるぅぅぁぁぁああああああぁぁぁああああ!!!!!!

(#゜Д゜)





閉鎖的な人ってなんやねんっ!!! オタクは文化やぞぉお!!!!閉鎖的なって何やねんっっ!!!!!!! 閉鎖的なってっっっっ!!!!!!!!!!!


『アニメ=世界に誇る日本の文化』っちゅーことは、その文化を支持しとるのはオタク以外の何者でもないじゃろーーがぃい!!!!! どんだけグローバルやっちゅーーーねん!!!!!!!!

オタク、バカにすんのもたいがいにせーーーやぁぁああ!!!

貴方はどちらを護りますか?

2010-12-05 | Other
大切な愛する妻が妊娠しましたが難産で、このまま産むと母親の命に危険があると医師に告げられたとします。 妻は「私は死んでも構わないから、赤ちゃんの命は救いたい」と言っています。 究極の選択になりますが、夫の貴方は妻の命を選びますか? それとも我が子の命を救いますか?

子供を産んで死んだ母親は数知れず。 男親一人で育てられた子供は数知れず。 どちらの命を救うにしても結果的に不幸に変わりはありません。 しかし、未だ見ぬ我が子の命を救い愛する妻が他界する事を選択する男性はどうでしょうか。 母親も考えなければならないと思います。 母親のいない寂しさを子供に与えることになる罪悪を。 産まれてくる命を護りたいという思いが強ければ強いほどに子供にとっては重荷になるのです。 自分のせいで母親が死んだと思わせて良いのでしょうか。 父親が我が子に「お前の命を救いたいと母さんは自分の命を省みずに死んだんだ。だから、お前は母さんにもらった命を大切にするんだぞ」と言い聞かせるつもりでしょうか。 戯れ言、全てが戯れ言なのです。

意図せずに出産時に母親が亡くなったケースならば、先の言い聞かせは意味があるでしょう。 しかし、母親が自ら望んで死を選んだという事は、子供にとっては罪悪感でしかないのです。 産まれながらにして人殺しのレッテルを貼られたようなものです。 母親は考え直さなければなりません。 マンガのような夢物語にはならないという現実を。