別に意味が通じれば構わないのだが、『ら』抜き言葉は幼児語じみていてみっともない。『食べられる』を『食べれる』と言ったり、『見られる』を『見れる』と言ったり。 例えば、『誰かに認められる』を『誰かに認めれる』と言う奴はいるか? 『ら』抜き言葉を使用している奴は『認めれる』と言えよ。 言わないだろ?おかしいと気づくだろ? なんで『認めれる』と言えないような奴が、『食べれる』と言うんだ? 言葉は相手に自分の思いを伝える伝達手段の一つだ。 綺麗な日本語を使えと言っているわけではない。 むしろ、綺麗な日本語を使える奴は希少だ。 だが、言葉の意味自体が変わってしまうような、意味が通じないような言葉は使うなと言いたい。 『認めれる』って言ってみろ。 能動的に聞こえるだろ。 『認められる』と言ってみろ。 他動的に聞こえるだろ。 言い方一つで感じ方が変わる。 いい加減な言葉遣いをしている奴には自己中が多い。 次に誰かに会うときには相手の言葉遣いを気にしてみると、その人間の性格の一端が垣間見えるかもしれない。