ザクとは違うのよね

投稿再開しました。 できるだけこまめに更新します。。。

本田美奈子さん逝く

2005-11-06 23:26:29 | いろいろ
 本田美奈子さん死去。享年38歳。

 ミュージカルで活躍されていたが、急性骨髄性白血病のため38年という短い生涯を終えられた。

 昨年、舞台『クラウディア』を観にいった。岸谷五朗&寺脇康文の地球ゴージャスがプロデュースで、タイトルどおり劇中の曲はすべてサザンの曲、ヒロイン役として彼女が出演していた。
 岸谷&寺脇の芝居も良かったが、彼女の歌声は、あの細い身体からは想像もつかない大きな声で、かつ美しい歌声を聴いた時は、素直に「すごい!」と思った。

 その彼女の歌声が聴けないと思うと残念でならない。昨年一度だけでも観られた自分は幸せだったのかもしれない。ご冥福をお祈りします。

懐かしい年号暗記(5)

2005-11-06 00:51:34 | 歴史・城
 年号暗記第5弾

 聖徳太子の子である山背大兄王を自害に追いやった蘇我入鹿・蝦夷父子は、ますますその力を強大なものにしていく。
 蘇我氏の専横を快く思わない葛城皇子は、蘇我氏に代わって自らが政治の実権を握るため、中臣鎌足と親交を深め、蘇我氏打倒の計画を企てる。
 蘇我氏以外の勢力を味方につけるため、有力豪族の阿部内麻呂、蘇我入鹿のいとこ石川麻呂に近づき、引き入れに成功。軽皇子も味方につけたことで、クーデター実行に向けた準備は整った。

 朝鮮から使者がやってきたとして入鹿を宮中に呼び出し、儀式の最中皇極天皇の目の前で入鹿を討ち取った。入鹿暗殺の方を聞くや、勝ち目はないと見て蝦夷は自害。ここに蘇我氏宗家は滅亡する。

 その後、軽皇子が即位して孝徳天皇となり、葛城皇子は中大兄皇子と名乗り、皇太子として政治の実権を握ることとなった。阿部内麻呂が左大臣、蘇我石川麻呂が右大臣に任命され、中臣鎌足が内臣(うちつおみ)、僧旻&高向玄理が国博士となるなど、クーデーターに加わった者らが新しい政治の中枢を占めた(それがクーデーターというものか)。

 個人的には、中大兄皇子という人物は好きではない。このクーデターも、蘇我氏の専横を正し皇族中心の国づくりを目指そうとしたよいうよりも、単に自分が政治の実権を握りたかっただけのような気がする(もっとも、舒明天皇の嫡子でありながら蘇我氏のために皇位につけなかったのも事実ではある)。
 クーデター後、都を難波へ遷した後、再び飛鳥へ都を戻そうと孝徳天皇に求めてこれが退けられると、天皇だけ残して勝手に遷都してしまうという傍若無人ぶり。
自分が病に倒れた時、弟の大海人皇子を病床に呼び、野心を探るなど、権力への執着がものすごい。

 律令国家の礎を築いたとされる大化の改新であるが、その中身はどうも中大兄皇子らの功績という評価でもないみたいだ。改新の詔があったのかどうかは怪しいらしい。蘇我氏が滅ばなくても、律令国家の道は必然だったという説もある。とにかく、古代のことは謎が多い。

 というわけで覚え方は、

    6  4  5 
   無事故の世づくり大化の改新

 これは定番かな。