私のブログのマニアックなファンの方々は、気づいてるかもしれない。
文章の表現が、ちょっぴり変わったことに。
フレンドリーに綴っていた文章が、簡潔に読みやすくするため
変に物足りなく、時々知識があるかのように文章が若干変わっていたことに。
理由は、最近読んだ本に大きく影響され、
『いつか、このブログが書籍化されるかも~。』
なんて、恐れ多くも上の副将軍黄門様もびっくりの大きな勘違いした結果である。
しか~し!、自分で旅行記を綴っていくうちに、どんなにがんばっても、
知恵を絞っても、私の知識は微々たる物で、写真も然りで、自己出版しない限り書籍化なんて事はない。
と(ホントは気がつきたくなかったんだけど( ̄ω ̄;))気がつきました。
先人達の旅行記に憧れて、簡潔に読みやすい文章に近づきたくて、
自分らしさって言うものを忘れてしまっていました。
『自分らしさ』を私なりに、判断すると。。。
面白おかしく、時々おセンチになって、初対面の人には、いきなりタメ口きけない、
心の優しい人物だと思っている(大いに、高評価の判断ですけど~)。
『おもろくて、優しい』
たぶん。
きっと。
そうなんじゃないのかなぁ~って(笑)。
ちなみに、動物占いは『オオカミ』。
だから、何を言いたいのかというと、
以前のように、友達に見てもらうような、親近感のある文に戻します!ってことでございます。
さてさて、前置きが長くなっちゃったけど、本題の旅行の模様を前回の続きから始めます。
2009年 1月25日
7~8割の確率で雨模様の、自称(したくない)『雨女』の、スペインの旅は、
時折、折り畳み傘をさしながら、
夏の離宮『ヘネラリフェ庭園』から、『カルロス5世宮殿』へ。
手持ちのガイドブック(数冊)の、説明を織り交ぜながら説明すると、
711年(718年とも諸説あり)から始まった、レコンキスタ国土回復運動の終結は、ここグラナダ。
レコンキスタとは、イスラム教支配下のイベリア半島で行われた、
イスラム教徒とキリスト教徒の支配権獲得の戦いの事で、イスラム教徒最後の砦は
1492年グラナダ陥落で約800年間の戦いに終止符が打たれました。
歴史にはとんと疎い私なので、好きな戦国武将の名前を尋ねられても答えれないですが、
1490年前後、この頃はるか海を越えて日本は戦国時代に突入します。
アルハンブラとは、アラビア語で赤い城を意味していて、
小高い丘には、赤い城壁に守られた宮殿、王宮、城塞アルカサバなど、イスラム芸術が集結しています。
と、イスラム芸術が集結したこの地に、円形状の建物が一つ。
それがこの『カルロス5世宮殿』。
カルロス5世宮殿は、レコンキスタ完了後に建設された、キリスト教徒の王の宮殿で、
ルネサンス様式の宮殿の設計は、ミケランジェロの弟子 ペドロ・マチェーカによるものです。
ガォ~ウ!
建設の理由は、カルロス5世が、新婚旅行でアルハンブラ宮殿を訪れ、
『イスラムの素晴らしい宮殿の中に、自分の宮殿を建てたい!』ってな思い付きだそうで、
1526年に建設が開始されましたが、資金難や内乱で工事は中断。
未完の建築物となりました。
どの辺りが未完のままなのか、見学していてわからないけれど、
現在は、1階がアルハンブラ美術館、2階が県立美術館。
2階は美術館ってなことを説明しているけれど、この時、雨がかなり振り、観光客もごくごくわずかで、
展示物があるであろう部屋の扉はすべて鍵かかってた( ̄□ ̄||)。
『見るものないんじゃ、雨の中でも、意地になって写真撮るしかないよね~。』
って、この家族が思ったのかどうかわからないけど、お父ちゃんが大声出して、子供に指示しながら、
写真撮ってた。
子供の表情は、完全にひいてたけど、家族旅行の良い思い出になればいいね。
そして、カルロス5世宮殿を出た後、私は日本からはるばる持ってきた折り畳み傘を、
どこかに落としてしまったことに気づき、時すでに遅し。
誰かに持ち去られてた(TT▽TT)。
近くに傘を売っているような商店もなく、ただただ、雨が止むのを願いながら、
アルハンブラ宮殿観光の目玉、王宮(ナスル宮殿)の入場時間を待ちわびるのであります。
参考書籍:
『るるぶ スペイン'08~'09』
『いい旅・街歩き ⑯ スペイン』
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