2月2日 節分(1897年以来、124年ぶりです)
毎年、行っている寒中の托鉢修行。本年最後の日は副住職と本町を。
風邪もひかず転びもせず、今年も最後まで務めることかないました。
例年の如く浄財を用意して、待ち構えて下さっている町民の皆さま。
今日も突風で衣があおられるような日でしたが「気を付けて」「頑張って」と、励ましの声に支えられて、無事歩くことができました。
(寺の前で戻る寸前、つるつる路面に足を滑らせ手をつく失態も~)副住職に笑われそう=何とか手をついて急いで立ち上がりました。
この日の浄財は、毎年えりも町の社会福祉協議会に寄付して、その活動に使っていただいております。
務めを終え、お寺の山門をくぐりますと、いつもホットします。
小学校に入学したころは、冬休みの何日か、師父(父であり師匠)
の後ろをついて歩かされました。
寒さで手がかじかんで、泣きそうな顔で戻ったことも多々あります。
この山門が見えると、ホットしたものでした。
その頃は篤信の健脚のお檀家様も数人、一緒に歩いて下さいました。
お寺には「山号」というものがついていて、拙寺のそれは『佛國山』といいます。「佛(仏)の教えを信じる人々が集う山(寺)」と、いう意味に解釈することもできます。
あのころ、共に健脚を誇っていた方々は、皆とっくに鬼籍に入られました。歩くこと、走ることが得意だった師父は、昨年まではとても元気でした。弟子が寒修行から帰ると、安どの顔を浮かべて、出迎えてくれました。もうその姿は見られません。(昨年7月6日急逝)
幾分の寂しさはありますが、歩いているとその面影が浮かび、先に逝かれた人々が、道を照らしてくれていると、思うのであります。
喪の寺の山門照らす寒月光 俊也