風極の岬 えりも 法光寺住職の「善き人々に出逢う旅」

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「日高山脈博物館」に立ち寄る~閑山寺様法要の因みに

2015-10-31 20:26:03 | 日記

10月30日(昨日の事です)

29日札幌に一泊し、翌朝早く日高町に向かいました。
高速を走ること、2時間半。占冠(しめかっぷ)インターを降りると、雪が残っています。
この日は、日高町のお寺の両祖開山忌のご法要でした。

法要がつつがなく終了しお昼をよばれて、帰路に着こうとしたとき、看板に目がとまりました。
「日高山脈博物館」~今まで何回もこちらに伺っていたのに、気がつきませんでした。

早速200円で入場券を買い、ゆっくりと館内を回ります。
なかなか丁寧な展示です。

日高の地区は、日高山脈襟裳国定公園の北の麓にある、高原地域です。
面積の94パーセントを山林が占めています。
沙流川のせせらぎに抱かれた自然が、多く残っています。
この懐に触れる思いがする絵が、掛けられていました。(どなたの作品かは解りません)

その後、3時間半かけて、寺坊に戻りました。
いささか疲れましたが、久しぶりにゆったりした一日でした。

「日本の自然をいっぱい遊んで、しみじみ学ぶ」
(自然体験プログラム2015 より)
かくありたいものと、存じます。

お地蔵さまを拝する~近浦地蔵法要をつとめました

2015-10-25 17:22:28 | 日記

10月25日 日曜日
昨夜からの浜風で、庭の木の葉も殆ど散りました。
境内に安置されています大地蔵尊も心なしか寒そうです。

大正年間に建立されたものです。
師父の妹が、幼くして無くなったとき、祖父である先々代住職が発願したものです。
悲しみをこらえて、代受苦の地蔵菩薩をまつられたのでしょう。

拙寺の前の本堂は、昭和15年の火事で焼失しました。
幸い翌年直ぐに再建されたのですが、このお地蔵さまはじっと同じ場所に立ち続けました。
法光寺の歴史をずっと、見ていてくれたのです。
幼いころはこの上に登り、やんちゃ遊びをしました。
そんな拙僧の成長の姿も、「静かに見守っ下さったのだ」と、思っています。

さて、本日は「近浦地蔵尊」の年に一度の法要をつとめました。
海難遭難者や交通事故被害者の安寧を祈っての、お詣りです。
熱心なこの地区の女性信者さんたちが20人ばかり参加。
一緒に👍を合わせ、お詣り致しました。
  地蔵菩薩は、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ」
  クシティは「大地」。ガルバは「胎内」「子宮」。
  これを意訳して『地蔵』となったようです。
  ~大地が全ての生きとし生けるものの生命を育む力を蔵するように
   苦しみ悩む人々を大なる慈悲の心で包み込むお地蔵さま。
   日本では、「子どもの守り神」としても信仰されてまいりました~


写真は同じく境内にまつられている小さなお地蔵さま。
漁師町ならではの、海難遭難者を慰霊するために安置されたものです。

「今日も一日、🚢が無事に帰還しますように!」
この前を通るたびに、拙僧も地蔵真言をおとなえするのです。
『オン カカカ ビサンマエイ ソワカ』

年金説明会に出席~そういう年齢です

2015-10-18 21:37:05 | 日記

10月18日(日)
隣町の広尾町コミュニティーセンターに伺いました。
北海道銀行主催、年金の説明会に出席です。
そろそろというか、もうというか~
(トホホの気分です)

大変丁寧に、解り易く解説頂きました。
でもね、何となく釈然としないのです!
この先の日本を思うと、果たして破綻しないでやっていけるのでしょうか?と。
そんな気持ちで、帰り道の車を走らせました。
(因みに拙寺は、宗教法人ですが、厚生年金です。勿論給料からの源泉。
 加えて事業主負担も法人からの支出です。一般には、僧侶の方は国民年金ですが)
(さらに余計なことですが~世の中の方には誤解されている方が多いようです。
 宗教法人は全くの非課税と思ってらっしゃる方がいらっしゃいます。
 営利事業をしていれば、課税されます。
 寺の者は法人から給与・賞与を頂き、税金を払います)

帰り道の車。広尾→えりもの海岸線の道路は「黄金道路」と呼ばれます。
とても立派な道という響きですが、実は大変な道路なのです。
高波や、大雨、雪崩の危険等で、しばしば通行止めになるのです。
「黄金を敷き詰めた程お金がかかっている道」という意味で、このように呼ばれています。


海岸の風景を眺めながら、ゆっくりと走っていると海鳥の大群がのんびりと横たわっていました。
いやのんびりと思うのは私で、実は餌を待っているのかもしれません。
それでも「鳥はいいな」とふと思うのです。
セコセコと、老後の生活の心配などせず、自由に飛び回っています。
鳥のように羽ばたけたら、どんなに楽でしょうか!!!
でも私たちはいのちある限り、地面を這いずり回り、日々の行いを繰り返していかなければならないのですね。


観音法要~本願寺派の住職様に法話をお願いしました

2015-10-17 19:16:29 | 日記

10月16日 朝から良いお天気
昨日は、拙寺の観音法要でした。
本堂の左手に三十三観音を、お祀りしています。
観音様は慈悲の菩薩さま。皆様の慈悲の心が潤う事を願って、共に読経しました。


法要の後、法話をお願いしたのは、浄土真宗本願寺派崇徳寺の住職様。
他宗のお坊さまをお招きするのは、珍しいことです。


お話の中心は「自然法爾(じねんほうに)」について。
 私たちが「自然」という時は普通、山川草木など、人間を取り巻く環境を指します。
人間は長い間、自然を支配しコントロールしようとしてまいりましたが、自然は元々支配されるようなものではありません。
 仏教では「自然=じねん」と訓じ、「自ら然る」という解をとります。
人間の「そのまま」の有り様が自然であるという、意味です。
言い換えると、「法=真理」がそのまま顕現(顕れる)していることを示すのが「法爾」というのです。
「法爾自然」とも申します。

 浄土宗の開祖さまは、この「法爾自然」を略されて、法然と号されました。
 親鸞聖人は、『自然といふは、自はをのづからといふ、行者のはからひにあらず、
        然といふはしからしむといふことばなり』とお示しです。(『自然法爾章』)

崇徳寺の住職様は、このお言葉を紹介した後、
「道元禅師様の『仏道をならふといふは、自己をならふなり』という教えと通じるものです」と、
わかりやすく対比下さいました。
法話の後は、互いの宗派の教えの類似するところと、異なるところ。
      現代の仏教界の抱える諸問題。
      現代社会における仏教の意義と可能性。等々を語り合いました。

有難いご縁です。
これからは、宗派を超えて、現代に生きる仏教を模索してまいらねばなりません。
各々が慈悲の心を磨くことが、第一歩と思っております。合掌

ナウマン温泉ホテルアルコ236~友を送る

2015-10-15 20:00:11 | 日記

秋田から布教にやって来た、畏友のK師を送りました。
幕別町忠類にある、ナウマン温泉ホテルアルコです。
ここは、温泉の質も良く、付近にはゲートボール場があります。
近隣の住民の憩いの場ですが、十勝帯広空港にも近く便利です。


さて、午後3時に突然響いたナウマン象の鳴き声。
1時間ごとに聞こえるのは覚えていたのですが、すぐ近くにいたので驚きました。



Wikipediaによると、ナウマン象は絶滅したゾウの一種。
肩高2,5メートルから3メートルで、やや小型のゾウです。
北海道では、1998年湧別町で、最初の化石が発見されています。
(マンモスといれかわりにナウマンゾウが生息したことが証明されています)

久し振りで聞いた遠吠えのような、切ないような咆哮。
前回は駐車場で仮眠していた時のこと。びっくりして跳ね起きました。
(お蔭で約束の時間に寝過ごさず、すみました!)

友と再会の約束の握手を交わし、帰路についたのです。