風極の岬 えりも 法光寺住職の「善き人々に出逢う旅」

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えりも岬「風の館」で開催中の写真展について

2015-07-29 19:52:38 | 日記
         えりも在住で、沢山の花の写真集を出している駒井千恵子さんの写真展が開かれています。
えりも岬「風の館」の2階。素敵な空間です。
(ここからは、ガラス越しに望遠鏡で、ゼニガタアザラシの群生を観察することもできます)

駒井さんが、世界中を旅して撮影されたフォトの中から、選りすぐりの作品が展示されています。
お近くにお出かけの際は、是非お立ち寄りください。(今月一杯の開催です)

襟裳岬のふたつの歌碑

2015-07-28 20:08:24 | 日記

えりも岬といえば、森進一さんを想いだす方が多いでしょう。
吉田拓郎さんの曲で、一世を風靡した歌です。
岡本おさみさんの詩で、一番有名になったのは「えりもの春は何もない春です」という所。
地元を愛する方々は、当時これに抗議を致しました。

時がたってこの歌碑が建立され、「えりもの灯台祭り」に森さんがやって来て唄いました。
「えりもの春は日本一の春です」と。

さて、実はえりも岬には、もう一つの歌碑があります。
森さんの歌がヒットする以前ずっと前に、島倉千代子さんが唄ったものです。
強風と荒波がそのまま唄われたこの曲は、子どもの頃にさんざん聞かされました。

今は、どちらの歌碑も仲良く並んでたっています。

えりも百人浜の一石一字供養塔に掌を合わせる

2015-07-26 21:46:59 | 日記

えりも岬沖は、強風の荒波のため昔から、海難事故が多いのです。
江戸時代、南部藩の御用船が難破し、百余名の乗組員が飢えと寒さの為息絶えたと言われています。
その慰霊のためと、沖を通る船の航海安全を祈願し、「一石一字」供養塔が建てられました。
花崗岩の石に、漢文の碑文が刻まれています。
蝦夷三官寺の一つ、えりも町のお隣様似町等樹院の住職の発願で、文化三年(1806年)に建立されたもの。

久し振りに訪れて、先人たちの御霊に合掌しました。
風も波も穏やかな、静かな日でありました。

えりも岬百人浜の悲恋沼

2015-07-24 15:54:24 | 日記

えりも岬から、約7キロのところ、百人浜の北側に小さな沼があります。
静かに水をたたえ、ひっそりとたたずむ、その沼の名は「悲恋沼」です。

寛文年間、この地で、アイ民族同士の争いがありました。
その時、和人「久作」は「マエラ」に恋をしていました。

内地に帰ることになった久作は、あの世での再会を誓い、マエラと別れます。
久作の舟を何日も浜辺で見送り、泣き続けたマエラは、ここで姿を消します。
その姿がなくなった後に、この「悲恋沼」が生まれたというのが、伝説です。

7月の穏やか夕暮れ時、家人とともにホタルを探しにまいりました。
か細い雨がほんの少し落ちてきて、良い条件ではありません。
20分ほど、目を凝らして歩き、ようやく微かな光をみつけました。
2匹のヘイケボタルが、寄り添いながら飛ぶ姿でした。

久作とマエラの再会に、想いを馳せることが出来た、ひとときでした。