太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

太鼓台‥発生から、分岐・発展へ(1)

2019年03月30日 | 研究

このブログがスタートした2019.3.28付「太鼓台分布略地図」で示された各地の「太鼓台」(標準語としてではなく、便宜呼称)には、どのようなカタチのものがあり、どのような経緯で、今日の各地のカタチになったのだろうか? 略地図で示された全ての「太鼓台文化圏」では、年々歳々太鼓台は奉納され、今も生き生きと輝いているのだろうか? 地域やコミュニティの“よすが・宝物・象徴”と言われ、2,300万人もの人々が何らかのカタチで関わっている広範囲な伝統文化・太鼓台。だがしかし、伝統文化を継承していくには、間違いなく厳しい近未来=人口減少・超少子・超高齢化社会=が待ち受けている。

これからの厳しい時代に、太鼓台文化を継承して行くために、私たちは太鼓台と、どう関わっていけばよいのだろうか? そもそも一体「私たちにとっての太鼓台」とはいかなる存在で、何物なのか? それらが全くわからないまま、よくもまあ、今の今までそれで済ませてきたものだと我ながら思う。私たち太鼓台文化の中で育った者として、太鼓台文化の現状を理解しておくことは、自らの土地に伝わる太鼓台を深く理解するためにも、絶対に避けては通れない必須のものである。何事も一朝一夕に、独自で成り得るはずがなく、大小・豪華素朴を問わず太鼓台もまた同様である。太鼓台の歴史を究めること、知り得た内容を水平展開すること、太鼓台文化を伝承する私たちの手に取り戻すこと等々、遅きに失した感があるが、このブログにおいて、できる限り精力的に発信していきたい。

図示した「太鼓台は、どのように発展してきたか?」(太鼓台の発展想定図)は、私が各地を見学する中で、各地を関連づけ、共通点を結びつけ、客観性や説得性を考慮して作成したもの。そのそれぞれの形態段階について、以下で簡単に説明しておきたい。

★―★―★―★

①太鼓台の一番最初が「どのような形であったのか?」は、まだよく分かってはいない。

②太鼓台の基本形は、「台(やぐら)+大太鼓(垂直積み)+かき棒」で、表の「櫓型太鼓台」の形態が太鼓台の基本形。

③その形になる以前の形態はよく分かってなく、想像するしかない。太鼓台の基本形が誕生したら、後は発展するだけ。太鼓台は、小さな形・素朴な形から、だんだんと大きく豪華になっていく。同時に、他の地方の豪華を真似て発展する。

④太鼓台の発展を決定づけたのは、蒲団の採用。華やかで軽く、当時の人々の最も欲しい高価なものの一つが蒲団であった。蒲団型太鼓台が登場する。

⑤屋根型太鼓台は、最も尊い神輿に似せて豪華になっていくが、蒲団型太鼓台の場合は、この蒲団部分にさまざまな工夫をして、大型化と豪華が進む。

⑥蒲団型太鼓台の最も発達したカタチは「枠(わく)蒲団型」太鼓台。その中でも最上位に位置するのが、蒲団枠が一段毎に分かれる「各段分解枠型」太鼓台。

⑦各地の太鼓台を形態別に分類してみると、複雑に分かれていることに気づく。そのため、それぞれの太鼓台は同じ種類とはみなされず、全く別のもので、個々に独立した存在と考えられていた。そのことが、太鼓台文化の解明を大きく遅らせてきた一因とも言える。また、太鼓台には大きく豪華なものばかりではなく、その祖形として、小型・簡素な形をしたものが各地にはたくさんあることを知って欲しい。

※太鼓台の各種形態の概要説明は、「太鼓台‥分岐・発展へ(2)~(5)」で行なっていきたい。

(終)

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太鼓台-分布の広がりと呼称、〝太鼓台〟は標準語か?

2019年03月28日 | 研究

           

伝統文化「太鼓台」の呼称は、決して標準語ではない。各地の太鼓台には、「ちょうさ・やっさ・だんじり・蒲団太鼓・四ツ太鼓・こっこでしょ‥」などさまざまな呼称があり、それらが脈々と伝承されている。太鼓台文化の歴史を重ねてきた各地でさえ、単に「太鼓台」と言っても、必ずしも通用するとは限らない。導入された当時の呼称が、今もなお脈々と息づいている理由については、

①蒲団を積み重ねたカタチ・屋根を載せたカタチ・素朴で簡素なカタチ(蒲団や屋根を備えない種々のカタチ)など、形態が大変多岐に亘り、各地の太鼓台では、大きさや装飾の程度が、今も、まちまちであること。

②太鼓台分布の核となる地方では、その地方に見合う形態が人々に好まれ、独立独歩のカタチが定着し、今も発展を続けている。裏を返せば、各地ではさまざまな形態の太鼓台が分布し、数多くの「地方毎の〝太鼓台〟」が存在しているということになる。

但し各地において、呼称がこのように煩雑すぎる状況では、広大な「太鼓台文化圏」に関する諸々の<謎・解明>を前進させることは、複雑で困難を伴うことが予想される。私は、素朴・小型の形態から豪華絢爛・大型の形態へと進化したのが、現状の太鼓台分布の実態であると考えている。そもそも過去から続く伝統文化というのは、各地独自の生い立ちや発展がありつつも、同時に各地同士で関連しあいながら寄り添い、重なりあって、はじめて歴史豊かな伝統文化へと昇華していくものだと思っている。

情報過多の現在でも、「太鼓台」は標準語とは言い切れない。しかし、さまざまな表記が息づいている〝単一の伝統文化〟を、私たちは〝太鼓台〟と呼ばず、一体どう呼んでこの誇れる伝統文化に向き合えばよいのだろうか。そのようなモヤモヤした気持ちを打破すべく、このプログで「太鼓台文化の謎」に迫りたいと思う。

★ここで言う〝太鼓台〟を定義しようとすれば、次のように表現できる。①大太鼓を垂直に積み込んだ、大型の祭礼奉納物であること。②その移動は、神輿のように舁棒にて担いで行なうこと。(舁棒の備わらない担ぐ形式のものも、過去には存在していた) ③太鼓打ち(主に子供、後には青年)が乗り込み、舁夫によって移動・運行すること。④近世期に、主とて大坂以西の西日本に広まった、祭礼奉納物の一形態である。(原則、東日本には存在しない)

★各地の古記録等に初めて「太鼓台」表記が登場した件に関しては、本ブログ中の「2019.4.19太鼓台表記の初見について」を参照いただきたい。

(終) 

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