太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

古刺繍酷似「獅子」‥配置の図柄酷似(B-②)

2019年10月18日 | 研究

工房・松里庵製と判明している太鼓台の獅子古刺繍では、大辻太鼓台・昼提灯(明治13年1880)と西山太鼓台・掛蒲団(明治24年1891)の親子獅子図柄に酷似を見ることができる。衣裳側の親子獅子は土庄町大部の歌舞伎衣裳・四天(よてん:四国村寄託中)に刺繍されているが、太鼓台側の親子獅子の図柄と酷似している。大部・四天の制作工房や制作年は、残念ながら確実に証明できる記録的なものがない。しかし図柄の酷似だけではなく、後日紹介する牡丹・花弁の濃淡表現(C-①)や、波頭のオタマジャクシ表現(D-①、波頭の外側が覆い被さる表現)に、工房・松里庵製と判明している作品と同様な特徴が色濃く確認されていることから、私は大部の四天も、大阪(大坂)などからの購入ではなく、琴平または観音寺に制作拠点があった松里庵製であることが極めて高いものと考えている。

北四国でのほとんどの龍・古刺繍の制作工房が、琴平の松里庵と特定されたように、獅子もまた同じ工房が深く関わっていたと認めざるを得ない。要するに、この地方の明治初期の装飾刺繍・制作工房のルーツは、琴平の松里庵を抜きにしては語ることはできないということである。

古刺繍の酷似を探究する場合には、作品の大・小の違いは、考慮する必要は無いものと考える。絵師が描いた「元絵」の獅子は見事な筆さばきの姿・形であった思われる。その「元絵」から作品化する際に真似て描いた縫師手製の「下絵」は、拡大率を変えて描き、それらを大・小作品の「下絵」としたものと思われる。

獅子の配置が酷似している太鼓台側の古刺繍では、前述したように、山本町大辻の復元・昼提灯及び徳島県池田町西山の掛蒲団で、幸いにも制作年代が特定できている。これに対し衣裳側の土庄町大部の親子獅子の四天(四国村寄託中)は、制作年代は判明していない。大部の四天は、少なくとも太鼓台側の古刺繍が誕生した明治20年代とそれほど違わない年代に、工房・松里庵(当時の制作拠点は琴平または観音寺)で制作されたものと推測される。

獅子は龍に比べると図柄的には小さい。また一つの作品に縫われた数は複数頭になる。小さい・多い獅子古刺繍から、別々の作品上で酷似を探し出すのはかなり難しい。例えば、大辻太鼓台で丁寧かつ慎重に復元された獅子幕では獅子10頭が刺繍されている。ベース絵の元絵から、獅子それぞれの阿吽の組合せや大・小を変更するなどすれば、多くの阿吽獅子の組合せが、下絵として可能となる。当時の職人たちは、元絵の表・裏を反転、あるいは角度を変えて回転する、更には阿吽の組合せそのものを変えるなどして、実際の刺繍の下絵となる獅子図を丁寧に書き起し、さまざまに躍動する刺繍作品として誕生させたものと想像する。

・大辻・昼提灯と複製された幕(共に坂出市の個人蔵、明治13年)

 

・西山・掛蒲団(明治24年、西山地区で管理保存) 最初の掛蒲団図柄が似る。

・大部の四天(屋島・四国村にて寄託中)

※縫師手製の獅子の下絵(松里庵・髙木家所有) 碁盤状に線を引き、元絵を拡大・縮小している様子が理解できる。

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古刺繍酷似「獅子」‥頭部・筋肉の連結(B-①)

2019年10月18日 | 研究

獅子があしらわれた年代物の古刺繍を注意深く眺めると、龍の場合同様の酷似が見えてくる。ただ衣裳側においては、獅子の作品が龍に比べかなり数少ないのが現状である。更に、ここ北四国の太鼓台では、時代が下ると大きく勇壮な龍が好まれ、獅子は更にまばらになってしまう。仏教の聖獣である獅子は「獅子・牡丹」と例えられるように、地芝居や太鼓台の発展期には躍動的な聖獣として、間違いなく龍と共に人々が憧れた刺繍飾りの主役であった。

獅子頭部の筋肉・連結については、龍の頭部筋肉・連結同様、衣裳・太鼓台双方の古刺繍でかなり見られる。

高松市・農村歌舞伎祇園座の獅子牡丹の打掛(うちかけ)は、赤地に獅子7頭(前に2頭、背に5頭)及び百花の王・牡丹を散らし全く力強い。小豆島町中山の獅子牡丹の四天(よてん)は、黒地に親子の獅子(2頭)と牡丹を配し「獅子の谷落とし」を表している。

一方太鼓台側では、前項(A-①②)で紹介した大辻太鼓台の昼提灯や幕の獅子(明治13年1880)、更には昭和8年(1933)製の大野原・は組太鼓台・蒲団〆などと酷似するが、中でも最も注目したいのは、広島県大崎下島(現・呉市)大長に伝わる「新居浜太鼓台に使われていた獅子・牡丹の下幕」である。この幕は、少なくとも明治初期にまで制作が遡るものと考えられている。

なお新居浜など西讃・東予から伝えられた古刺繍としては、広島県三原市幸崎能地で使われている「富士の巻狩」幕(新居浜→大長→能地)や、同太鼓台・龍の蒲団〆(こちらは新居浜→大長→能地ではなく、観音寺市豊浜町→能地で、大正末期に伝播と伝えられている)の存在が確認されている。

・祇園座の打掛(獅子・牡丹) 制作年不詳(観音寺太鼓台研究グループ撮影、農村歌舞伎祇園座・蔵)

・中山の四天(獅子・牡丹) 制作年不詳(観音寺太鼓台研究グループ撮影、中山農村歌舞伎・蔵)

・大長・下幕(獅子・牡丹) 明治初期以前(西条市T・O氏提供、宇津神社・蔵)

・大辻・昼提灯&獅子の幕 明治13年(坂出市・個人蔵)

・大野原・は組(蒲団〆) ‥ 昭和6年(大野原町T・S氏提供)

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古刺繍酷似「龍」‥目尻の三角筋表現(A-②)

2019年10月07日 | 研究

龍・目尻の三角筋は、前稿(A-①)の頭部・筋肉の連結と共に、工房・松里庵の大きな技法の特徴である。そこでは、筋肉の連結を通じ各地の龍の酷似を紹介したが、本稿の三角筋でも各地の太鼓台で多くの酷似が見られている。ただ残念ながら、衣裳側では現時点で適切な例示が見つけられず、太鼓台側だけの紹介となる。これは、完成した際の刺繍の厚みが関係しているためではないかと推測する。太鼓台側では「高縫刺繍」と呼ばれているように、太鼓台への刺繍採用時から、作品の立体感を誇張するためにボリュームある表現を推進してきたが、役者が着用する衣裳側では、どちらかと言えば〝所作に邪魔となる立体感は必要なかった〟のではなかろうか。この三角筋の存在は、双方古刺繍のこのような基本的立ち位置の違いによって、太鼓台側に多くの酷似をもたらしてきたものと思われる。

[太鼓台]

・まんのう町大向‥前稿(A-①)の龍虎蒲団〆の龍頭を参照。

・伊吹島西部‥前稿(A-①)の幕の龍頭を参照。

・馬路‥前稿(A-①)の幕の龍頭を参照。

・大辻‥前稿(A-①)の昼提灯の上・下鉢部分の龍頭を参照。

・詫間町箱浦の幕‥明治29年(1896)の作。龍頭を参照。(香川県立ミュージアム蔵)


・まんのう町明神‥前稿(A-①)の龍蒲団〆の龍頭を参照。

・河内上組‥前稿(A-①)の龍蒲団〆の龍頭を参照。

・福岡‥前稿(A-①)の龍虎蒲団〆の龍頭を参照。

・観音寺市柞田町下野の幕‥「北条時政、江ノ島弁財天に(家紋の)三鱗を賜る」伝説 (新居浜市K・T氏ご教示、下野自治会蔵/観音寺太鼓台研究グループ撮影。右の伊吹島西部・幕と同じ図柄=西部太鼓台・蔵)

・坂出市新浜子供太鼓台‥前稿(A-①)の扇獅子・龍の蒲団〆、龍頭を参照。

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古刺繍酷似「龍」‥頭部・筋肉の連結(A-①)

2019年10月07日 | 研究

衣裳でも太鼓台でも、信仰世界の聖獣といわれる龍や獅子は格別に大切にされていて、双方古刺繍への採用は、時代を通じ連綿と受け継がれてきた。龍は架空の存在ではあるが、古い寺社建築などの彫刻や浮世絵などの絵画としても見ることができたため、私たちにとっては案外身近な存在の〝聖獣〟であったとも言える。ここでは「地芝居・太鼓台‥双方古刺繍の酷似相関表」(以下、酷似相関表)(A)(F)の順に従い、関連画像を用い、双方の酷似する内容や数珠つなぎとなる関連事項の紹介を行なうこととする。

龍の頭部・筋肉の連結は、「く」の字型筋肉に挟まれた頭頂の筋肉とその手前の筋肉が、目尻(角・つの)に近い部分でつながっている状態を指す。松里庵・髙木工房の龍頭部は、次回に紹介する「目尻の三角筋表現(A-②)」と併用された技法が多いが、この連結及び三角筋が、工房の大きな特徴である。なお、この連結の理由を現当主の四代目・髙木敏郎氏にお尋ねしたところ、「殊更連結することも無いように思うが、家の流儀としてこだわり続けて受け継いできた。連結しないよりも確実に手間がかかります」とのことであった。

[地歌舞伎衣裳]

・土庄町小海(おみ)の陣羽織

小海は地芝居が廃れてしまった地区。貴重な衣裳は地区で大切に管理されている。衣裳に龍の刺繍を用いているのは案外と少ない。 (小海自治会蔵/観音寺太鼓台研究グループ撮影)

 

[太鼓台]

・大崎下島大長(おおちょう)の上幕と龍蒲団〆‥明治初期以前の新居浜で使用されていた。 (撮影・提供は西条市T・O氏)

  

・まんのう町大向(おおむかい)の蒲団〆

 

・伊吹島西部の幕‥「北条時政、江ノ島弁財天に(家紋の)三鱗を賜る」伝説 (幕題の指摘・教示=新居浜市/K・T氏、西部太鼓台蔵)

 

・土庄町豊島甲生(こう)の幕と蒲団〆(残欠)‥小豆島から伝わった。 (甲生自治会管理/観音寺太鼓台研究グループ撮影)

  

・三好市池田町馬路の幕「海女の珠取り」‥保管箱には「天保6年(1835)、辻若中(大野原町)」と書かれているが‥(馬路太鼓台蔵/観音寺太鼓台研究グループ撮影)

 

・美馬市脇町の蒲団〆‥伊予からの中古購入と伝わる。

 

・山本町大辻の昼提灯‥「明治13年(1880)、琴平・松里庵」の作と判明。 (坂出市S・T氏撮影提供/道具箱は大辻太鼓台で現役使用)

 

・まんのう町明神の蒲団〆‥琴平の酒屋からの購入と聞く。


・豊中町福岡の蒲団〆‥明治43年(1910)の作

・山本町河内上組の蒲団〆‥明治中期の作。伊予三島で使用されていた。(香川県立ミュージアム蔵)

・坂出市新浜子供太鼓台の扇獅子と龍の蒲団〆‥左は歌舞伎の小道具「扇獅子」をアレンジしたもの。即ち「獅子」で、一対で「龍虎」の蒲団〆となる。

・小豆島町中山の幕‥龍退治・虎退治の幕(中山自治会蔵/観音寺太鼓台研究グループ撮影)

 

(終) 

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