太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

宇和島湾沖・戸島(とじま)の歌舞伎衣裳に見る〝古刺繍の連鎖~波しぶき・波涛〟

2025年01月01日 | 研究

以前に紹介した戸島歌舞伎の古衣裳に関し、ようやく念願が叶い、年末の12月22日㊐、愛媛県立歴史文化博物館(西予市宇和町)にて、館のご協力のもと、かって歌舞伎の衣裳を合同にて調査・撮影作業を実施させていただいた久万高原町・川瀬歌舞伎並びに八幡浜市・穴井歌舞伎の皆様方、そして今回の実見及び撮影作業の呼びかけに参加いただいた10名の皆様のご協力により、豪華な歌舞伎衣裳を間近にすることができました。年末のご多忙の中、ご準備くださった館をはじめ、関係の皆様に厚く御礼申し上げます。

今回の戸島歌舞伎の豪華衣裳(小忌衣と呼ばれる高貴な役どころが用いる刺繍付きの豪華衣裳)を中心にした、各地古刺繍連鎖の解明手順としては、館所蔵の戸島歌舞伎衣裳を実際に拝見・撮影させていただきましたので、⑴まずは、その作品的特徴が衣裳・小忌衣にどのようにあらわれているのかを指摘し、⑵その指摘点が、画像を通して各地の古刺繍(歌舞伎や太鼓台)にも酷似して登場していることを確認します。更には、その連鎖の結果として繋がっていった、各地・古刺繍同士の〝連鎖〟を証明していきます。但し、今回の投稿としては⑴~⑵までとし、⑶については、後日、本稿末尾に記したように、後日以降の投稿とさせていただきます。(悪しからず)

戸島歌舞伎の衣裳の特徴

 

この豪華な刺繍付き衣裳は、高貴な役どころが着用する小忌衣(おみごろも)と呼ばれていて、後頭部にエリマキトカゲのような大きな襟(えり)がついている。衣裳の背には、正面を向いた飛び立つ鳳凰が大きく刺繍されている。私が注目するこの刺繍の大きな特徴は、メインの大柄な鳳凰は当然ながら、それよりも余白処理的に刺繍された波しぶき(袖から下部分に計14個(裏表)ほど、鋸の刃状の四方八方に砕け散る表現)である。この波しぶきは、衣裳の余白を埋め尽くすように水流や岩のあちらこちらに縫われており、この表現は香川・愛媛県下の農村歌舞や太鼓台の古い刺繍に、間違いなく繋がり、連鎖しています。

館が寄贈を受けた戸島歌舞伎の衣裳は全部で26点ありました。当然ながら、これらは実際に使われていた衣裳のほんのごく一部だと思います。所蔵衣裳の種類は、裃(肩衣・袴)・陣羽織・素襖・羽織・小袖・四天・着付・帯(館の整理表による)など、そのほとんどの制作年代が、なぜか明治19年となっていました。この小忌衣も明治19年製とありました。しかし、年代を特定する衣裳への書き込みや道具箱等は付随していませんでした。もしかすれば、この明治19年というのは、戸島歌舞伎の発祥と何らかの関りがあり、それぞれの衣裳もその年に拵えられたものと〝言い伝えられていた年代かも知れないと思いました。

共通点・酷似点の指摘

この衣裳の全面に散りばめられていて、鳳凰以外で私たちに最も目につく〝波しぶき〟に関係する衣裳の古刺繍や太鼓台の古刺繍を、できる限り数多く探すことから始めます。もとより、主役級の演者が用いる豪華な刺繍付きの衣裳は、他の演者が着用する衣裳に比べると高額なため、制作された数も少ないのが実情です。そのなかで酷似する部位の波しぶきのほどこされた古刺繍を探すとなると、更に数は限られてきます。地歌舞伎(農村歌舞伎)が盛んであった時代ならばいざ知らず、現在のようにわずかにかろうじて現存する廃れた時代では、傷みやすい衣裳の伝承は、なかなか難しい。そのような環境下にあって、私たちがこれまでに各地で実見させていただいた波しぶきの刺繍作品を、古衣裳・古い太鼓台刺繍・その他の古刺繍の中から紹介します。

上掲の表・裏の衣裳は、前から小豆島・中山農村歌舞伎所蔵の唐獅子牡丹の四天(よてん、1940昭和15年製。大盗賊など主役級の荒々しい役の演者が着用した)、同農村歌舞伎所蔵の松に鷹の羽織(制作年不詳)、小豆島・小海自治会所蔵の龍の四天(制作年不詳)です。

一方、ここに掲げた四国地方の太鼓台等の古刺繍群にも波しぶきがあります。前より、三好市馬路太鼓台保存会の海女の玉取・水引幕(最初の2枚。修復して現用中、制作年代不詳。太鼓台は江戸時代末期には確実に存在していた。海女の周囲に大胆な波しぶきが認められる)、観音寺市豊浜町の席船に用いられた鷲の見返り幕(豊浜町ちょうさ会館展示、1928昭和3年制作)、三豊市詫間町・志々島だんじりの水引幕(上・下幕の下幕、波千鳥の幕、制作年不詳)、丸亀市・塩屋西太鼓台保存会の大江山鬼退治(頼光主従の道中)の水引幕(現用中、1882年明治15年頃に制作された可能性が高い。水(波)しぶきは、血の付いた洗濯物を手にする姫君の右下方、流れの落ちる部分に、辛うじてその残欠が確認できる)

化粧まわし(坂出市・個人蔵)。この化粧まわしは、愛媛県に住む方から譲り受けたとの由。西予市野村町の乙亥相撲の化粧まわしと酷似することから、そこで使用されたいたものと考えられる。

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今回の投稿はここまでです。

次回以降は、ここで紹介した各地の古刺繍それぞれ一件毎について、今回の波しぶきと同様な手法を用い、言わば「波しぶきの古刺繍が〝二次撹拌的に〟どのように各地の古刺繍へと繋がっていくのか」を眺めてまいります。

(終)

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