11月25日(金)
ホテルにて起床。
雨風を気にせず暖かければ風呂もありトイレも近くetc
荷物の後片付けもしないで良いしで快調にスタート。
いよいよ、しまなみ海道・原付レーンを行きます。
しまなみ海道は愛媛・今治と広島・尾道を繋ぐ連絡線で、
途中、瀬戸内海に浮かぶ島々を渡り行けるので、
原付や自転車乗りにとっての聖地らしいです。
ちなみに、車や小型二輪以上は島々を突っ切れます。
早速、第一の島『来島』を目指します!
原付レーンは、高速道路の原付サイズの様な道幅で、
細いループを抜けて来島海峡大橋に出ます。
橋の端、普通なら歩道になっている部分を進みます。
来島大橋は、しまなみ海道の中で最も長い、
つまり海の上を走る時間が長いです。
橋を走っていると太陽と海と島々の風景に感動出来ます。
壮大な景色に感動しつつ走っていくと、やがて料金所が見えてきました。
そうなんです、しまなみ海道は有料道路。
と言うことで100円を賽銭箱のような箱に投げ入れます。
毎回、橋を渡るときに各々の料金を支払いますが、10円から100円と細かいので
ない場合は次のところで纏めてというのも出来るようです。
料金所を抜けてさらに走り、来島到着!
今回折角のしまなみ海道なので、渡るだけではなく各々の島を見て回ります。
来島では、先ず『亀老山展望台』に向かいました。
展望台に行くため坂を上っていると、
ヒュルルルルゥー・・・。
(あれ?エンジンの回転数が下がっていく?)
アクセルを回しても反応がなく、やがて止まってしまいました。
(何だ?)
キックでエンジンをかけるとかかったので再度出発、
しかしアクセルを回しても反応が浅く、回しきると回転数が下がり、また止まる。
(なんだ!?この状態は!?)
僕の愛車は買ったときから不調の新車で散々不具合に見回れてきましたが、
今回初めての現象で、
しかも、アイドリングストップ搭載前から既に搭載されているこの愛車が
アイドリング中でもエンジンストップしなかったので今日は好調だな!ぐらい思ってたのに。
サドルをたててキックを踏むと、普通にかかる。
今度は試しに低回転で回すと進み始めました。
(お?低回転なら進む、でも一定にすると下がる)
アクセルを一定にするとまた回転数が下がっていくので、
ヤンキーがやるマフラーをブンブン鳴らす奴をやりながら上っていきました。
(スピードは遅いけどなんとか進むからこれで上まで行くか)
と思っていると、またエンジンが止まり。
かけるとかかる。
結局、途中に荷物を置いて軽くして、
低回転でブンブンしながら、止まったらかけ直すを繰り返し。
セルの壊れた原付を何度も立ててはキックを踏み汗だくになりながら、
展望台に到着しました。
(下りたらバイク屋探さないとなぁ、島にあるのか)
と幸先悪く展望台を見に行きます、
売店横を通り進んでいくと、コンクリートの壁が渓谷ように立っています、
この先かな?と思いながら進んでいくとコンクリートに囲まれたホールに出ました。
(ぉお!何だここ意味わからん!)
辺りを見渡すと、左に回廊にあるような広い幅の階段、
右はコンクリートの壁で端に階段。
上は筒抜けですが、壁沿いに渡り廊下が這わせてある。
(えらいデザイン的な造りだなぁ、安藤忠雄だな!)
コンクリート=安藤忠雄をという、安直な考えで答えを見いだしつつ、
先ずは、幅広の階段を上っていくと、先客のお年寄り達が居て、
あっちのが見概があるよ。と言うので渡り廊下を歩き、先にBデッキを見に行きました。
どうやら、AデッキとBデッキがあって、位置が対象になっているようです。
Bデッキに行くとさっき渡った来島海峡大橋、
今治と瀬戸内海の島々がよく見えました。
Aデッキは海、空を行く鳥や漂う雲、行き交う船等が見えました。
絶景に感動しつつ駐車場に戻り、
帰りは下り坂なのでエンジンをかけずに慣性で下りることにしました。
途中で置いた荷物を回収しようと思ったらソコにない。
(あれ!?ない!利用者はお年寄り達だけだったし、もしかして届けられた?)
バイク屋の前に警察も探さないとと若干焦りながら下りていくと、
次の安全地帯にありました。
単に似た風景だけだったようです。
荷物を積み下まで下りて、エンジンをかける。
とりあえず低速で進み様子を見ると、進む。
大通りに出たのでアクセルを回してみると、
通常になってました。
何だったんだぜ!焦った!
問題なくなったので次に向かいます、
次は、『村上水軍博物館』、
戦国時代の海賊と言うことくらいしか知識がなかったので
行ってみました。
結果、良く分かりませんでした。
今の九州から和歌山の内海を掌握していて、
毛利について織田と戦ったりしたらしいです。
特別展示で、現在放送中のドラマ坂の上の雲に出てくる、
秋山真之が当時、村上水軍の指南書から兵法を学んでいたらしく、
その兵法を使った作戦や、文書などが展示してありました。
ちなみに秋山真之は、"本日晴朗なれど波高し"のフレーズの人です。
丁度、特別展示を見るときに受付の方が、良かったら説明しましょうか?と
付いてくれて、その方が言ってました。
このフレーズだけ何故か知っていたので
あぁ!その人なんですね!となりました。
さて!次の島、伯方島に向かいます!
伯方と言えば、アレしかないですね!・・・多分!
"伯方の塩"ですね!
と言うことで、
伯方の塩を使った塩ラーメンを出すラーメン屋三和さんに行きました。
12時前に入ると誰も居なかったので、あれー?と思っていると、
僕が注文してからお客さんが来だして、食べ終わって出る頃には
満席近くになりました。
もう少し遅れたらゆっくりできなかったなと思いつつ次の島へ!
味の感想?塩ラーメンでした!!
次の島、大三島に向かうため原付を走らせていると、
作業着姿の男達が自転車に跨がり疾走している列に出くわしました。
スゲー中国みたいと傍目に道路を走っていくと、
その根元を発見しました。
どうやら造船所の昼休憩だったようです。
造船所の前を通るときも中からぞくぞくと珍走団が出てきてました。
伯方島に限らず瀬戸内海辺りは造船所が多いです。
海岸線に工場の陰在るとき其れ造船所也。ってぐらい。
造船所がこの地域の人たちの大半を支えてるんだろうなぁと思いながら、
大三島橋を渡ります。
其れにしても利用者が少ないのか、橋に上がる原付道路は悪路が多いです。
落ち葉や落枝など散乱してたりします。
四国、愛媛県最後の場所、大三島。
県境のある多々羅大橋の袂、道の駅『多々羅しまなみ公園』で休憩して、
多々羅大橋を渡ります。
料金所には広島県の標識が、四国での思い出が走馬灯のように。
は行きませんでしたが、今回の気まま旅に於いて設けた3つの目的の1つを成し遂げた達成感と次の目的に奮起して料金所を通りすぎました。
ありがとう四国!
多々羅大橋を渡り生口島へ。
生口島は通り道の景色を楽しみ次の因島へ渡りました。
因島は、ポルノグラフィティの出身地らしいのですが、
其れらしいものは見当たりませんでした、コンビニの横に暖簾が掛かっていたくらい。
ですがそれが本題ではありません、先ずは、本因坊秀策のお墓を見に行きます、
ヒカルの碁で知っているだけだったので、あるなら見に行こうと行ってみると、
結構奥地にお墓があり、墓地のひとつだったので探しながら墓地をウロウロ。
看板見つけて階段を登り、やっと見つけました。
"秀策"の文字が刻んである以外は普通のお墓でした。
手を合わせてお墓を後に、因島水軍城を見に行きます。
やはり水軍は土地に限界があるからか、敷地が狭く小規模です、
わざわざ島に攻めに来ることもないからなのかもしれませんが。
次は、白滝山五百羅漢です。
駐車場に原付を停めて階段を上っていくと、
[裏参道 100m] [表参道 100m]の看板。
(ほうほう、距離は一緒か。表は石段、裏は岩場か)
裏に行きました、裏を登り頂上へ。
そして、五百羅漢御目見え。
正確には頂上の少し下から頂上に向かい道沿い石仏が並んでいます。
石仏を見ながら頂上に行き景色を堪能して、因島大橋袂、因島大橋記念公園に行きました。
しかし、記念公園というにはあまりに廃れていて、
先ずひとけがない、そして、敷地内に廃屋と井戸がある。
まるで橋が出来たことにより人が寄り付かなくなった場所のようで恐かったのでさっさと
しまなみ海道最後の島、向島に因島大橋を使い渡ります。
因島大橋は、これまでのような車と並走ではなく橋の下を通るモノでした、
そして、原付が通れるしまなみ海道はこれで終わりです。
日の暮れの近づいていたので向島を通り抜け、尾道大橋を通り尾道市に入ります。
急いで寝床を探しますが見つからない、道の駅も公園も広い敷地の建物もなく、
どうするか考えあぐね市役所に行ってカウンターにいたお姉さんに、
「すいません、変なことを聞きますが野宿出来る場所はありますか?」
と聞いてもお姉さんは野宿ですか?と慌てた様子。
「軒下とか雨が凌げるモノがあればいいんですが」
「駅の階段下が開いてますが、、、」
「人多いですよね?」
「多いですね」
「東屋みたいなのでもいいんです」
「東屋ならお寺の公園にありますけど、でも遠いですよ?」
あれば良いです!と場所を聞いて外に出ると真っ暗。
急いで公園に向かうも東屋は見当たらず、結局トイレの入口の少し突き出た軒下に寝ることにしました。
暖かいから大丈夫だろうと寝袋に入り就寝。