「ゆっくりと読書がしたいな」。久々にそう思ったのは、昨日のこと。米子での朝、待ち合わせ場所に先に来ていた同僚隊員が、柔らかい光の中で静かに本を読んでいた姿を見て、にわかに思いがわいた。福富に来て1カ月。あわただしく体と口を動かしてばかりで、落ち着いて読書なんてしてなかった。
まずは本の整理でもするか。段ボールに入れっぱなしの本の一部を今夜、本棚に移し替えた。何度も味わってきたいくつかの本を、ぽつりぽつりと読み返しながら。
■星野博美「転がる香港に苔は生えない」
中国への返還が迫る香港の下町に著者が2年ほど暮らし、現地の人と喜怒哀楽を共にしながら返還の日までを記したノンフィクション。初めて読んだのは、隊員が25歳のころか。著者の感性と観察眼にガツンとやられた。読み終えた後もリュックに入れて持ち歩き、居酒屋で友人に読後のコーフンをまくしたててた覚えが…。「体験を書く」ということが持つ無限のスタイルとおもしろさ、マスコミの国際報道では分からない世界の感じ方を知った作品。表紙の写真も好きだな。著者は「華南体感」「ホンコン・フラワー」という写真集2冊も出してて、こちらも大好きだった。
■近藤紘一「バンコクの妻と娘」
戦時下のサイゴンで新聞社の特派員をしていた著者。再婚相手のベトナム人の妻と子との家庭生活は、世界の激動や日本社会の息苦しさに直面しつつも、一家独特のからっとした温かい時間が重ねられていく。ベトナム留学を終えた後で初めて読んだのだったかな。近藤一家を題材にした著者の一連の著作の中でも、最も好きな作品。自分という存在のちっぽけさ、罪深さを思い知ったからこそにじむ優しさ、ユーモア、的確な視線が詰まっている。
■星野道夫「旅をする木」
アラスカに暮らし、アラスカを撮り続けた写真家がつづったエッセイ集。学生時代に突然に友人を亡くして呆然としていた頃、紹介されて手に取った。著者も同じような経験を経て自らの道を歩み始めたと知り、「自分にできることは、自分の思うように生きることだ」と思った。決断に迷ったり尻込みしたりしたとき、この本に戻るとふっと心が軽くなり、力がわく。やわらかく、自然で、温かく、芯のある、壮大な文章。いつも自分の人生を生ききっていてこその表現のかたちだと思う。
■沢木耕太郎「人の砂漠」
「書く仕事」を志していた学生時代、最も憧れた作家。いや、隊員にとっては「ルポライター」としての存在だ。中でも、社会的に誰からも注目されることのない人々たちを描いた短編・中編ルポが収まる本作品には衝撃を受けた。著者が20代のときの作品。世の中にはすごい力量の人がいるもんだ、と思った。ミイラ化した夫の遺体と暮らしていた老女の死の真相に迫る収録作「おばあさんが死んだ」にはシビレた。感化された隊員は駆け出しの新聞記者時代、ベタ記事程度で終わった事件や事故でも、勝手に関係者を探しまくって取材してたな。いつも何らかたちにならず、「あいつ、遊んでんのか」と思われてたに違いない。収録作「視えない共和国」にも刺激され、修士論文は作品と同じ与那国島を舞台にリサーチした。当時の隊員、素直すぎてかわいいじゃん。
時を忘れてページをめくるひとときは極上。さて、何を読もうかな。
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