俺は不思議で堪らない、何故高貴な人や自称インテリアはオペラや歌舞伎なのだろう。
玉三郎で無く大衆演劇の梅沢富雄では駄目なのか、昔歌舞伎役はと言はれた。(失礼)
今歌舞伎座はお見合いの場所に成るらしい、オペラ、クラシック音楽が入り楽しいかも知れないし名曲も入り心和むだろう。確かに歴史も有り感動する曲も多い。
でも音楽北島三郎や都はるみでは駄目なのか、俺ちあきなおみの歌聞くと目頭熱く成る事も有る。
クラシック、皮肉な奴が和訳すると(暗病)ではお笑いだろう、俺の何時もの穿った意見だ昔クジラやホッケ安くて貧乏人の常食だった、給食で出されて不味いの不満多かったでも俺美味く思った変人故の思考だろう。
だが価格上がると美味いの連荘だ、クジラの刺身は特に多い昔は新聞紙に包まれ屑刺身だった。
時代は変わった様に見えるが人間の内容変わって無いのかも知れない。
江戸時代以前は高貴な人々は中国服だったが、森永維新後(?)洋風化され洋服だ永六輔が着物を着る会を作ったが無駄だった。簡単な話庶民と区別する為の服だっただろう。
欧米文化コンプレックス多分インテリア人種には多いだろう、昔国会で外国紙の記者会見が有り英語で回答すれとそれこそインテリアだったしかし現在国会議員には必要不可欠だろう、正式な会議には誤訳無い様に専門家の通訳必要だが食事会等は気軽に話せる事は大事だ。
書きながら思った、俺下流国民に生まれ幸せに思う下らない慣習に捕らわれず生きられるのだ。
オペラ歌舞伎見なくても済む、民主主義は幻想に成ったが一応形だけの自由は未だ有る。
俺の趣味で最期を迎えよう。