また昔話で失礼。
高専で工学系から或る事で文化系に人生変わった、それで大学入学したのだ。
入学金と半期だけの月謝親に出して貰った、後はアルバイトで喰って行かなければならない苦労の連続だった。
女好きでキャバレーのボーイ憧れたが実現しなかった、池袋のサンシャインビル建設前の地帯付近に日雇い派遣の事務所が有り良く通った、不埒で勉強は嫌いだが根は真面目だ色々な日雇いの仕事でマイクロバスに乗って行った。
何か所か回るうちに或るビル建設で水道会社の監督に認められた、明日から直接通えと声が掛かったのだ嬉しかった、日当も上がったし通勤費も出た幸運である、半年も居たろか本社員採用の声が上がったしかし人生の目的は違う、ズルズル引き延ばし悪いが結局辞めた。
夏休み故郷でアルバイトした、朝夕食風呂付だ給金は全部懐に入る酒も盗み呑み出来る好都合だ、悪友の紹介で日本蕎麦屋で決まった考えてみるとガテン系のバイト一色だった飲食関係は初めてで不安多かった。
しかし俺は変人だが妙に人ナッコイ、店も感じの良い人が多く安心して働けた。
悪友が三日に一度は飲み会の誘いが入る嫌では無い必ず付き合う、其処で食べるのが残った蕎麦を丼ぶりに入れ揚げカスを乗せタレを入れ喰うのだ美味かった、それを奥さんが見ていたのだろうキュウリの千切りを乗せ(冷やしタヌキ)のメニューを作った好評だった、今では倅の大好物の一品だ。
俺、子供の頃から料理大好きだったしかし親父明治生まれだ(男子厨房に入らず)が信念だった、中学時代料理教室に通うとしたら頭熟しに怒られた。
山岳部でも普通の料理で無く簡単に作れて旨い料理考案した、続編は山岳部時代の思い出で書きます乞うご期待。
主に仕事は出前持ちだが、昼飯は自分で作る事が多かった色々な料理に挑戦した
新しメニュー作ったのだ、俺は油濃い味が好きなのだでも何故かカツ丼は好みでない、玉丼に揚げカス入れたのだ超美味かった後に(タヌキ丼)でメニューに載る。
フーテンが老舗の蕎麦屋に二つのメニュー持つのは誇りに思う、娘の旦那はカツ丼好きだ一緒に食事した時にタヌキ丼勧めた以後大ファンに成った。
両方も安くて美味いし少ないがボリューム感ある、貧乏人には最高だと思う。
ひと夏の契約だったが或る事件(?)で大学に戻らず3年間世話になった、人生の分岐点有ったのだろう、思い出と喜び悲惨感が残る日付限定の記事です強き思いで書きます是非読んで下さい。
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