地名由来「中井・鶴木・春安」 宍粟市山崎町
閲覧数1,447件(2009.12.24~2019.10.31)
■中井(なかい)
揖保川の支流菅野川の下流域。菅野川左岸から山崎町の町場との境をなす段丘崖にかけての水田には、条里制の遺構が見られ、志水ケ坪・泉ケ坪・小牛ケ坪の坪名が残る。
【近世】中井村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は、田中神社。明治初年地内東部。中井に山崎の町場中央から南下する道路が新設された。町場から段丘崖を下る坂道を敷設の中心となった人物の名をとって遠藤坂と呼ぶ。
【近代】中井 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和50年地内を東西に中国自動車道路が開通。近年主要県道山崎南光線の整備などにより商店などが増加しつつある。
地名の由来は、水路に係わるもので、今宿から揖保川に井関をつくりその水路(溝)が城下平野に伸びている。その水路のちょうど中ほどで二股に分かれており、つまり水路の流れの中の井関から由来している。(「地名の由来」 西川氏)
■鶴木(つるぎ)
古くは靏木とも書いた。揖保川の支流菅野川下流域。
【近世】鶴木村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は金比羅神社(鶴木神社)明治22年城下村の大字となる。
【近代】鶴木 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村、明治30年からは山崎町の大字。菅野川周辺には竹薮が多いことで知られたが、戦後はほとんど姿を消した。西部に小規模な宅地開発が行われている。
地名の由来は、金比羅神社の伝説につながっている。土中から剱(つるぎ)が発見されたのを祭り、その地を剱村と称し、社を建ててのち、鶴木と改めたという。
■春安(はるやす)
揖保川の支流菅野川の下流域。慶長11年(1606年)11月26日姫路城主池田輝政は、安養寺内蔵助に春安村151石1斗を含む都合2,000石を※宛行っている。(鳥取県立博物館所蔵文書) ※宛行う(あておこなう):禄や所領を割り当てること、あてがう
【近世】春安村
江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は、天神神社。寺院は、天台宗中寺円明院(円明寺)。同寺は、山崎藩主池田氏の菩提寺であったが同氏の断絶によって衰退。のち願行寺(がんぎょうじ)成就院と改めた。なお、江戸初期には浄土宗青竜山大雲寺・清光寺(清光寺)があった。のち山崎の町場に寺町が形成されて両寺の寺跡には山崎藩主の墓なども残っている。明治22年城下村の大字になる。
【近代】春安 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村、昭和30年からは山崎町の大字。兼業農家を主とする農村で、近年菅野川の周辺に若干の商店などが立ち並ぶ。昭和50年の中国自動車道が地内を通過する。
地名の由来は、春安は城下平野西の段丘にあり、いち早く朝日を仰げる見晴らしのよい地である。春安のハルは「治、墾」に由来する。『日本地名辞典』。その開墾地は平安末期に成立した名田百姓村の一種が美称されたとある『ひょうごの地名』。まとめれば、景色のよい開墾地の佳名と思われる。
今回の発見
◇春安は、伝統の天神祭りがおこなわれている。江戸期には当村内の中寺に大雲寺、清光寺(現廃寺)があり、その後、池田藩主の菩提寺円明寺が建った場所であり、山崎城下町内に寺町ができるまで仏教ゆかりの地であった。
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