地名由来「三津・梯」 宍粟市山崎町
閲覧数1,383件(2010.1.7~2019.10.31)
山崎町神野地区内
■三津(みつづ)
揖保川中流右岸、同川とその支流伊沢川との合流点北側に位置する。
【近世】三津村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)には、「水須村」と見える。年月未詳の播磨国石作庄年貢・段銭等算用状(九我家文書)に「ミツ丶」の名主の名がみえ、「上ミツヽ」とも記されている。当村の特産物は木綿・薬草(※茯苓)。なお願現寺とみられる官弦寺(かんげんじ)の小字が今も残る。
寛保年間(1741~44年)~宝暦年間(1751~64年)にかけて対岸三谷村の志ゆうせん川原で砂鉄の採取が行われ、当村の官弦寺でそれを原料として蹈鞴(たたら)製鉄を行った(山崎町史)。今も製鉄跡を物語る鉄滓の撒布池が残る。神社は、武太(たけだい)神社。明治22年神野村の大字となる。
※茯苓(ぶくりょう):サルノコシカケ科のキノコ。アカマツの根などに寄生。漢方で鎮静・利尿薬などに用いる。
【近代】三津 明治22年~現在の大字名。はじめ神野村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和40年の国道29号拡幅工事実施以後、道沿いに飲食店・工場・倉庫・商店が立ち並び、中三津地先の揖保川には昭和53年さつき橋が架橋された。
■梯(かけはし)
揖保川支流梯川の上流域。地名は急な傾斜面に屋敷を開いていることから起こった。
【近世】梯村 江戸期~明治22年の村名。慶長国絵図に「かけ橋村」とみえる。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領、享保元年(1716年)からは安志藩領。寛文年間(1661~73年)五十波杣(そま)と呼ばれる人々が当村で藩御用材を伐採、商人の請負山もあった。神社は、岩上神社。明治22年神野村の大字になる。
【近代】梯 明治22年~現在の大字名。はじめ神野村、昭和30年からは山崎町の大字。戦後姫路市網干校区の夏季キャンプ場、昭和59年神野運動公園が開設された。
◇今回の発見:三津についての地名由来は、記されていないが、慶長時代に水須村と記されていたことがあり、水との関係が深いことは言える。