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▲男坂城跡全景 南から
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▲鳥瞰 (by google)
男坂城跡のこと 養父市大屋町宮垣天神山
男坂城跡は、大屋川左岸(北岸)に張り出した尾根の先端部(標高130m、比高約30m)にある。男坂神社の本殿のある最上部に主郭(東西30m×南北28m)があり東に2段の帯曲輪と曲輪(41m×23m)跡が残る。主郭背後には尾根筋の侵入を防ぐための堀切があったが、近年の撹乱により破壊されている。城主は不明だが、対岸の三方城の三方氏の一族と思われる。
尾坂城は三方城の出城・支城として三方城と川を挟んで、東の大屋口と北の琴弾峠からの侵入路を押さえていたと考えられる。
主郭には男坂神社が祀られている。住所地名が字天神山とあり、北裾を流れる谷川は天神川、大屋川に掛けられた橋は天満橋と天神さんゆかりの地名・名称が残されている。これは、江戸時代に出石藩封内明細帳に天神社とあり、もともと天神社として祀られていたものが明治3年(1870)に男坂神社に改称されたからである。
参考:
男坂城縄張り図 大屋町史より
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アクセス
大屋川に沿いの県道6号(養父宍粟線)で宮垣集落に入れば北岸に尾坂神社があるのですぐわかる。北からの場合は琴引トンネルを抜け県道との交差点の左手すぐである。
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▲神社(城跡)入り口 ▲真っ直ぐな石段
神社の石段が真っ直ぐ敷かれている。曲輪跡を貫いているので、縄張り図を見ながら進むと、両脇に曲輪跡が容易に確認できる。
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▲石段途中 右手に延びる曲輪跡 ▲本殿下の切岸
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▲男坂神社
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▲神社の背後 階段を降りた所に堀切があった ▲埋められた堀切の先には竪堀跡が残る
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▲削り取られた尾根筋背後 ▲神社の背後が宅地化されている
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▲背後からみた景色 南西部
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▲昭和39年(1964)の航空写真(国土交通省)
雑 感
男坂城跡の背後は住宅地が建ち並び道路が北に延びているが、城が機能していた戦国期にはなだらかな丘陵の尾根先端部の高台で、北の琴弾峠への道はこの城の前を通らなければならなかった。そのことは城の正面の東と北につながる琴弾峠の道を見張る最適な場所で、三方城を守るための好位置にあることがよくわかる。
棚田の発達したのどかな但馬の深い谷合も昭和から平成にかけて県道が整備拡張され、この宮垣に琴弾トンネルが開通し、峠越えの道が役目を終えた。このトンネルによって大屋から但馬中心部へのアクセスが便利になり地域の生活圏が大きく広がった。昔は一度大雪が降るとバスが長く運休したことがあったが、道が整備され雪も少なくなったこともあって、今はそのようなことはほとんどないという。
[関連]
・三方城跡