※本記事、「ペコロスの母に会いに行く」は文中に認知症のことを、“ボケ”と表記しています。
“ボケ”の表記は社会上好ましくないものですが、あえて使用しています。
先日の休みに、赤木春恵,岩松了 主演の映画、
“ペコロスの母に会いに行く”を観てきた。
認知症になった高齢の母親を、バツイチ・ハゲ頭の中年息子が施設へ会いに行く物語。
長崎在住のフリーライター、岡野雄一氏の実話を元に書き綴ったマンガが原作。
父親が亡くなってから、認知症、いわゆる“ボケ”がはじまった母親、みつえ。
施設に預けてから、毎日のように母親に会いに行き、
そこでの出来事をコミカルなタッチで淡々と描き続けた。
当初、同氏が担当していた長崎のタウン誌などの片隅に連載していたものを、
ひとつにまとめて本にして、それを自費出版で長崎限定で販売。
口コミやSNSなどで長崎県外にも話題が広がり、
人気が爆発し増刷を重ね、シリーズ14万部を超える大ベストセラーとなった。
認知症の高齢者を抱える、家族の金銭的・心的な負担、
それまで暗い側面しか綴られることのなかった介護が、
この作品で大きくイメージが変わり、実際に同じような認知症の高齢者を抱え、
その介護に悩んでいた人々から、この作品を読んで「気持がラクになった。」
「介護に対する考え方を根底から変えられた。」などと反響も大きい。
そんな話題のマンガが、長崎出身の演出家兼俳優の岩松了を主人公、岡野雄一役に、
認知症の母親、みつえ役に赤木春恵がキャスティングされて、実写映画化された。
赤木春恵氏は、この映画で初主演を飾り、
88歳での映画初主演が過去最高齢となり、ギネスブックに登録された。
監督は長崎出身で、喜劇映画の巨匠、森崎東 氏。
自分は原作を全然知らず、このタイトルだけを見ても何のこっちゃ解らなかった。
テレビCMで予告編を観て、「こ・・・これは観に行かんば!」と思い、急遽、上映劇場を検索。
公開から一ヶ月経っていたのもあって、なんと福岡で上映していたのは一カ所だけ!
しかも一日一回のみの上映・・・。
これは直近の休みで観ておかないと、もう上映終了してしまうかもしれない。
この映画を観るためだけに、この日、ふだん行くことのない中間市(なかまし)※まで車を走らせた。
チケットを買う際、座席指定がなかった。
スタッフから渡されたチケットを見ると、「自由席」と表示されていた。
うーん、ここまで人気がないのか・・・。
ちょっとがっかりしつつスクリーンに入ると、平日の昼間にも関わらず、
20人ばかりの観客が確認できた。
誰も座っていない、最後列のド真ん中を陣取って鑑賞に臨む。
舞台は長崎市。
そこで暮らす岡野ゆういちは、東京でサラリーマンをしていたものの、
離婚して実家の長崎に戻り、高齢の母親・みつえと、息子のまさき(大和田健介)と3人暮らし。
タウン誌の広告営業マンをやっているものの、
仕事はそっちのけで、趣味のアマチュア音楽活動や、マンガ制作に力を入れるダメサラリーマン。
そんなお気楽なゆうちいだったが、大きな心配ごとも抱えていた。
10年前に父・さとる(加瀬亮)が亡くなってから始まった、母親のボケが、だんだんひどくなってきた。
息子のまさきと夜、そのことで話をしたり、
行きつけの喫茶店のマスター(温水洋一)に相談したり、
そして意を決して、母親を施設に預けることに・・・。
ゆういち役の岩松了は本来フサフサで、見事なハゲヅラで役に臨んでいた。
暇を見つけては施設の母に会いに行く。
そこのスタッフや、母親同様に預けられている他の高齢者のひとたち、
そしてその家族らと親交を深めながら、母親を見守っていく。
だが、母親のボケはますます進行してゆき、
帽子をとってそのトレードマークのハゲ頭を見せないと、息子だと認識してくれなくなる。
ひとつひとつ、大切なことを大切なひとを忘れてしまう母・みつえ。
それを悲しみつつ、母親への愛と感謝を込めて、施設へ通い、マンガを書き綴るゆういち。
とうとう、ハゲ頭を見せても息子のことが解らなくなってしまったとき、
母親の部屋を出てショックのあまり、ひとりむせび泣く。
若い頃のみつえを演じるのは原田貴和子。
加瀬亮演じる、酒乱のさとるのダメ夫っぷりが・・・。
母に会いに行きながら、自分が幼かった頃、必死に自分を育ててくれた母のことを回想し
そして古い写真や手紙を手がかりに、母の幼少時代のことを辿ってゆく。
ボケてしまって、もう自分のことも解らなくなってしまったけれど、
ずっと苦労してきた母親へ、さらに感謝の気持と大切にしたい思いを高め、
今日もまた施設へ母に会いに行く――。
号泣した。
いやもう終始泣きっぱなしだった。
“ツレがうつになりまして。”以上に泣いた。
笑えるシーンもたくさんあるのだけど、それ以上に泣いてしまう。
笑い泣きというか泣き笑いというか、とにかく笑って泣ける映画である。
うつ病と異なり、自分の身近に認知症を患っている人は居ない。
いやもう10年以上前に他界してしまったけれど、元妻の祖母が認知症だったか。
挨拶に行ったときは、はっきりしていてが、やはりだんだんと悪くなっていた。
最後にお会いしたとき、ベッドに横たわったまま自分に泣きながら、
「お願いします!おムコさん・・連れて帰ってください!」と訴えていたのを思い出した。
だが、鑑賞中に、元妻の祖母のことを頭に思い浮かべていたわけではなく、
やはり自分の母親と重ねて観てしまった。
母はまだ還暦前だが、このみつえ同様、
幼い頃から長女として苦労し、暴力的なダメ夫に耐えながら自分ら子供を育ててくれた。
今も無職でアル中のクソ親父を後目に、体中の不調を訴えながらも毎日仕事へ行き、
朝早くから夜遅くまで家事もこなす。
そんな働き者の母が、あんなクソみたいな親父が死んだとき、
プツッと何かが切れて、ボケが始まるやもしれない・・・。
そんな心配をずっと以前から抱いていた。
そして偶然にも母が長崎出身だというのも、よけいに重ねて観てしまった。
もし自分の母が、みつえのようにボケてしまったら・・・。
自分はこの、ゆういちのように、前向きに接することができるだろうか?
そんな思いが頭じゅうをめぐって、今もずっと頭に残る。
ただ、いつも働いている母親を見て、
ボケようがボケまいが、ずっと元気で居てほしい。
どうか長生きしてほしい。
できればボケたり寝たきりになったりせずに。
そして、絶対あのクソ親父よりは長生きして欲しい。
お母んに先立たれちゃうと、わしら子供らだけで、あのクソ親父の面倒は見きらんばい・・・。
号泣していて、この日、不覚にもハンカチを忘れていたことに気付く。
いつもハンカチは忘れずにふたつは持ち歩くのに、
慌てて家を出たものだから、鞄にハンカチを入れ忘れてしまった。
最後列にひとりで助かった・・・。
で、こんなときに限って、鼻水まで出すくらいに泣いていた。
涙だけならば服の袖で拭えるけれど、鼻水は拭えない。
いい歳したおっさんが、昭和の子供みたく袖を鼻水でカピカピにはできんだろう。
涙と鼻水を拭えるものが何か無いかと、鞄をまさぐる。
すると、前にモスバーガーでもらっていた紙ナプキンが数枚出てきた!
貴重な紙ナプキン、大事に大事に涙を拭う。
映画が終わり、エンディング曲と共にスタッフロールが流れ出す。
スタッフロールが終了し、スクリーンの照明が点く前までに、
紙ナプキンで、きれいに涙を拭き取る。
なんとかきれいに涙を拭い、よっしゃこれで明るくなってもOK!
するとエンディングのラストに、ゆういちとみつえ、
役者さんではない、実際の二人の写真が映し出される。
この写真を観た瞬間、また号泣。
紙ナプキンは全てびしょびしょ・・・けっきょく最後は慌てて袖で涙を拭った。
長崎県以外では、もう公開している劇場はほとんどないと思われるが、
認知症の高齢者の介護問題を身近に抱えている方や興味のある人、
ぜったいに観ておくべき映画だと思うのでチェックして欲しい。
100%泣ける保障をする。
鑑賞に臨む際、ハンカチは忘れずに。
劇中に登場する岡野雄一氏直筆のイラスト。
こんなん見せられたら一気に涙腺決壊します。
※中間市:“なかまし”だが、大抵“ちゅうかんし”と読まれてしまうのでルビ入れた。
近くの直方市(のおがたし)も、大抵“ちょくほうし”と読まれてしまう。
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