皆さんは与那国島(よなぐにじま)という島を知っていますか?。
名前を聞いたことはあっても行ったことのある人はほとんどいないのではないのでしょうか。 私も離島が好きなので、四半世紀前からずいぶんと遠くの島へも 旅しました。
石垣島が好きなので何度か足を運んでいるうちに、八重山には 自分が探していた物、すっかり忘れていた物がそっくりそのままあるというこに気付かせてもらいました。
花が花に生まれて喜んでいる
樹木が樹木に生まれて喜んでいる。
ついでに
わたしもわたしに生まれて喜んでしまった。 旅の人でなく東京人とかでもでなく、南の海が、あったかくってとてつもなく でっかい自然が、私を琉球人としてつつみこんでくれた。 おそらく訪れた人の多くは、同じような思いを抱かれたと思います。おおいなる怒涛のような自然・・・。その前に思わずひざまづいてしまう、そんな力が沖縄にはあるように思います。
春まだ浅き都会より、仕事の関係で与那国島に行く機会がありました。
石垣島から飛行機で30分。台湾まで約125キロ。 石垣島からは
約 127キロの位置にある 日本最西端の島です。
島は昔から“ドナン“と呼ばれてまして”渡難”の字を あててそう読ませるほど厳しい自然環境にあったようです。
地図を広げてながめていた時点では、大型回遊魚が獲れる海、ハンマーヘッドの大群が泳ぐ海 。世界最大の蛾・ヨナクニサンの産地 などビッグでワイルドななイメージが先行していた
パチンコやもなければゲーセンも無い。大型スーパーもマクドナルドも無いです。何もない。 木の葉の形をしたちっちゃな島です。
それでも来ていただけますか?。 そのかわり金は貯まりますよ。
案内してくれた人は冗談めかしてこう言った。(最後のフレーズでガクッ!そのかわりっていったい・・・)
久部良(くぶら)という村ののとある大きな古い民家の前で車を降りた。「ここで泊まってください。夕食は迎えに來ますのでそれまでしばらくお休みください。」こう言い残して車は走り去った。
オイオイ聞いてないヨー。築百年ってとこの古民家の〔冗談でなく)家の土間に荷物を持ったまま私は途方に暮れてしまった。
家はあけっぱなし。島にはドロボウがいないそうだ。
誰もいないのでとりあえずあたりをあちこちと見て歩くことにする。とりあえず公衆電話を探そう。20分ほど行けばあるという。携帯が調子悪くバッテリーの残量が少ない。教えられたとうりに歩くが・・・・。行けども果てなく続く ウージー バタチと土地の人がいうサトウキビ畑以外、本当にあたりは車一台、人っ子一人通らなかった。
あるのは夕焼けとトウキビ畑と吹き渡る風だけである。 まったくこの世の果てかと思うほど寂しいところだ。 腹が減るわ。、人恋しいわ。足がくたびれるわ。日が暮れかかるわ。
思わず、いい年をしていながら叱られた子供のように寄る辺無い気持ちになって涙ぐんでしまった。
でも、それは少しも嫌な気分ではなかった。それどころかなぜか懐かしいような安心できるようなシチエーションであったのだ。西岸良平の漫画の世界のような・・・。昭和40年代にタイムスリップ。なぜかおかっぱ頭にツギハギズボンの私がいて。デジャービューに近い気分。なぜだかわからないがとても素直な気分になってしまった。
そのあたりには、ホカ弁もコンビ二もタバコ屋も、いわんや電話ボックスすらも見えなかった。
それに、先ほどからすれ違う人の数よりヤギの数の方が多いのは不思議だ。なだらかな丘、草原、道路に至るまでつながれたり,つながれなかったりしたヤギが夕日をいっぱいに浴びて草を噛んでいた。
道路を少し入ったところの草むらで赤ちゃんを生んでる最中のヤギがいた。[アーララ!」
生み終えるとお母さんヤギは子袋をひきずったまま歩き回りながら赤ちゃんヤギがモコモコとしながら立ちあがっていくのを見守っていた。
ここですっかり、私の与那国島に抱いていた”ビッグでワイルドなイメージ”は払拭されてしまった。
しばらく行くと”闘牛場はコチラ”の案内板がみえてきた。「オオ。やぎさんだけでなく牛サンもいるんか?。ウーン。与那国は動物サイトも奥が深い・・・。」
久々の信号を渡ったところに民宿を兼ねたよろずやのようなスーパーがあったので、沖縄限定のパイナップルハイチュウとオリオンビールとカップ麺をこれまた久々の定価どうりで買った。品物の値段プラス飛行機代or船賃かな。
あと”ウメ―シ”という黄色い竹に紅いボッチがついた箸を買った。20膳100円で安くてうれしかった。
旅先で箸をわすれたらお祭り騒ぎだ。大変だ。
民家へ戻っても、まわりはあたりまえの静けさにつつまれていた。 テレビやDVDいわんやSNSなどが普及してない時代に、何かがそっと立ち帰らせてくれた そして、その静けさの中で、わやわやと音をたてて身体と心の関節がほぐれて行く。
夜になって仕事先の人が 迎えにくるまで、私はこの島独特のもったいないような 南国の暖かい闇をゆっくりと楽しむことにした。
続くかもしれなひ。
名前を聞いたことはあっても行ったことのある人はほとんどいないのではないのでしょうか。 私も離島が好きなので、四半世紀前からずいぶんと遠くの島へも 旅しました。
石垣島が好きなので何度か足を運んでいるうちに、八重山には 自分が探していた物、すっかり忘れていた物がそっくりそのままあるというこに気付かせてもらいました。
花が花に生まれて喜んでいる
樹木が樹木に生まれて喜んでいる。
ついでに
わたしもわたしに生まれて喜んでしまった。 旅の人でなく東京人とかでもでなく、南の海が、あったかくってとてつもなく でっかい自然が、私を琉球人としてつつみこんでくれた。 おそらく訪れた人の多くは、同じような思いを抱かれたと思います。おおいなる怒涛のような自然・・・。その前に思わずひざまづいてしまう、そんな力が沖縄にはあるように思います。
春まだ浅き都会より、仕事の関係で与那国島に行く機会がありました。
石垣島から飛行機で30分。台湾まで約125キロ。 石垣島からは
約 127キロの位置にある 日本最西端の島です。
島は昔から“ドナン“と呼ばれてまして”渡難”の字を あててそう読ませるほど厳しい自然環境にあったようです。
地図を広げてながめていた時点では、大型回遊魚が獲れる海、ハンマーヘッドの大群が泳ぐ海 。世界最大の蛾・ヨナクニサンの産地 などビッグでワイルドななイメージが先行していた
パチンコやもなければゲーセンも無い。大型スーパーもマクドナルドも無いです。何もない。 木の葉の形をしたちっちゃな島です。
それでも来ていただけますか?。 そのかわり金は貯まりますよ。
案内してくれた人は冗談めかしてこう言った。(最後のフレーズでガクッ!そのかわりっていったい・・・)
久部良(くぶら)という村ののとある大きな古い民家の前で車を降りた。「ここで泊まってください。夕食は迎えに來ますのでそれまでしばらくお休みください。」こう言い残して車は走り去った。
オイオイ聞いてないヨー。築百年ってとこの古民家の〔冗談でなく)家の土間に荷物を持ったまま私は途方に暮れてしまった。
家はあけっぱなし。島にはドロボウがいないそうだ。
誰もいないのでとりあえずあたりをあちこちと見て歩くことにする。とりあえず公衆電話を探そう。20分ほど行けばあるという。携帯が調子悪くバッテリーの残量が少ない。教えられたとうりに歩くが・・・・。行けども果てなく続く ウージー バタチと土地の人がいうサトウキビ畑以外、本当にあたりは車一台、人っ子一人通らなかった。
あるのは夕焼けとトウキビ畑と吹き渡る風だけである。 まったくこの世の果てかと思うほど寂しいところだ。 腹が減るわ。、人恋しいわ。足がくたびれるわ。日が暮れかかるわ。
思わず、いい年をしていながら叱られた子供のように寄る辺無い気持ちになって涙ぐんでしまった。
でも、それは少しも嫌な気分ではなかった。それどころかなぜか懐かしいような安心できるようなシチエーションであったのだ。西岸良平の漫画の世界のような・・・。昭和40年代にタイムスリップ。なぜかおかっぱ頭にツギハギズボンの私がいて。デジャービューに近い気分。なぜだかわからないがとても素直な気分になってしまった。
そのあたりには、ホカ弁もコンビ二もタバコ屋も、いわんや電話ボックスすらも見えなかった。
それに、先ほどからすれ違う人の数よりヤギの数の方が多いのは不思議だ。なだらかな丘、草原、道路に至るまでつながれたり,つながれなかったりしたヤギが夕日をいっぱいに浴びて草を噛んでいた。
道路を少し入ったところの草むらで赤ちゃんを生んでる最中のヤギがいた。[アーララ!」
生み終えるとお母さんヤギは子袋をひきずったまま歩き回りながら赤ちゃんヤギがモコモコとしながら立ちあがっていくのを見守っていた。
ここですっかり、私の与那国島に抱いていた”ビッグでワイルドなイメージ”は払拭されてしまった。
しばらく行くと”闘牛場はコチラ”の案内板がみえてきた。「オオ。やぎさんだけでなく牛サンもいるんか?。ウーン。与那国は動物サイトも奥が深い・・・。」
久々の信号を渡ったところに民宿を兼ねたよろずやのようなスーパーがあったので、沖縄限定のパイナップルハイチュウとオリオンビールとカップ麺をこれまた久々の定価どうりで買った。品物の値段プラス飛行機代or船賃かな。
あと”ウメ―シ”という黄色い竹に紅いボッチがついた箸を買った。20膳100円で安くてうれしかった。
旅先で箸をわすれたらお祭り騒ぎだ。大変だ。
民家へ戻っても、まわりはあたりまえの静けさにつつまれていた。 テレビやDVDいわんやSNSなどが普及してない時代に、何かがそっと立ち帰らせてくれた そして、その静けさの中で、わやわやと音をたてて身体と心の関節がほぐれて行く。
夜になって仕事先の人が 迎えにくるまで、私はこの島独特のもったいないような 南国の暖かい闇をゆっくりと楽しむことにした。
続くかもしれなひ。